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​論説・エッセイ 

このページは、憲法問題、改憲問題の論点についての「憲法ネット103」メンバーの自由な発言のフォーラムです。ときどきアップしていきますので、ご注目ください。

(絵・文)野村まり子・(監修)

『えほん日本国憲法』明石書店・2008年

◎講演記録集:3本の記事が以下に収録されています。
1.山内敏弘さん「安倍九条改憲の危険な本質」憲法9条京都の会・安倍改憲NO! 全国アクション京都共催『2017年11月3日憲法集会in京都』での講演原稿
​2.志田陽子さん「家族:開かれた憲法論に向けて-個人・尊厳・平等」9条科学者の会・日本科学者会議共催『日本の政治はどこへ向かうか 2017秋の講演会』2017.11.25講演会レジュメ
3. 清水雅彦さん「『安保法制』と9条改憲」PeaceNight9実行委員会(主催)九条の会東大(共催)PeaceNight9集会『9条変えるとどうなるの?』2017.12.21講演レジュメ

                 安倍9条改憲の危険な本質

 *以下は、「憲法9条京都の会/安倍9条改憲NO!全国市民アクション・京都」主催の「11・3憲法集会 in 京都」において、山内敏弘一橋大学名誉教授が行った講演の原稿です。憲法9条京都の会の事務局長・奥野恒久龍谷大学教授の許可をいただき、「憲法ネット103」に転載させていただくことが可能になりました。安倍9条改憲の危険な本質について、明快に論じています。​ぜひお読みください。

 

                                                                                                                                                                                  安倍改憲No!11.3京都集会

                                                                                                                                                                                  2017年11月3日

 

                                                                                             山内 敏弘(一橋大学名誉教授)

 

一  はじめに

(1) 10月22日の衆議院選挙とその結果について

   今日は、日本国憲法が、1946年11月3日に公布されてから、71年になります。 この間、平和憲法が一度も改悪されてこなかったことを、まずは、皆さんとともに喜びたいと思います。それと同時に、現在、私たちは、平和憲法がいまだかってない存亡の危機に立ち至っていることをも認識せざるを得ない状況にあります。

   それはいうまでもなく、さる10月22日に行われた衆議院選挙の結果、自民・公明の与党が憲法改正に必要な3分の2の議席を獲得しただけでなく、希望の党や日本維新の会といった改憲勢力を含めると衆議院で8割という圧倒的多数が改憲勢力によって占められ るようになったからであります。 そもそも、今回の衆議院解散は、二重の意味で違憲のものでありました。第一に野党が憲法53条に基づいて臨時国会の開催を要求していたにもかかわらす、それを無視して冒頭解散をしたという点で、それは憲法53条違反でした。また、解散権を行使する正当事由がなんらなかったという意味では憲法7条や69条にも違反する解散でした。安倍首相 は、「国難突破解散」と呼びましたが、実体は、まさに加計・森友問題隠しのための解散でした。あるいは、北朝鮮の脅威をことさらにあおる、ためにする解散でした。麻生氏が、 自民党の勝利は、「北朝鮮のおかげだ」といったのは、安倍首相の本心をも言い当てたもののように思われます。 今回の衆議院選挙によって、改憲勢力が衆議院で圧倒的多数を占めることになりましたが、しかし、同時に確認しておくべきは、衆議院の議席数と有権者国民の意思との間には大きな乖離が今回も見られたということです。例えば、自民党は、全国289の小選挙区で、75%の議席数を得ましたが、得票数で見れば、過半数にみたない48%でした。また、比例区で得た自民党の得票数はわずか33%でした。全有権者に占める自民党の絶対得票率は、小選挙区では25%であり、比例区では、わずか17%でした。このようにわずかの得票率であるにもかかわらず、衆議院での議席数では、単独過半数(233)を優に超える284議席を獲得したのは、ひとえに小選挙区制というまちがった選挙制度に起因しています。またそれを踏まえた野党間の選挙協力を行うことを拒否し排除の論理を貫いた希望の党の小池氏とそれに同調して民進党を解体させた前原氏のまちがった対応に起因しています。 このように、現在の選挙制度は、主権者国民の意思を正確に反映したものではないことからすれば、このような選挙制度は、かつての中選挙区制あるいは比例代表制一本に変更することが必要ですし、また、衆議院の解散権の行使についても法律で制限をかけることが必要(但し、そのための改憲は不要)だと思います。

(2)  国会の改憲発議を阻止するのは世論の力

   今回の衆議院の解散とその結果については、このような問題があることはきちんと押さえておかなければならないと思いますが、ただ、にもかかわらず、安倍内閣は、今回の選挙を踏まえてあらたに構成された国会で、念願の9条改憲に取り組んでいくことは間違いないと思われます。政権与党の公明党は9条改憲についてはいまのところ慎重な姿勢を崩していませんが、しかし、希望の党や維新の会が9条改憲に乗り気になった場合には、公明党の姿勢もどう変わるかは予測することはできないと思います。安倍首相は、来年の通常国会には国会での改憲発議を行うことを目指してこれらの政党への説得工作を行うことになると思われます。 いま、私達はそのような危機的な状況にあるわけですが、しかし、私達は必ずしも絶望する必要はないと思います。憲法改正を最終的に決めるのは、いうまでもなく、国民投票でありますので、国民投票で安倍改憲にNOということは出来るわけですし、また国民投票でNoと言うぞという意思表示を予め示しておいて、改憲の発議を阻止することもできるからです。かりに国会で強引に9条改憲の発議が決められたとしても、国民投票で否決された場合には、9条の改憲は今後かなり長期にわたって不可能になると思われます。そのことを踏まえれば、安倍首相にとっても、9条改憲の発議に踏み切るかどうかは、国会 の議席数だけで決めることはできず、どうしても世論の動向を見極めることが必要になっ てきます。

   そして、その点で、私達にとってうれしいデータは、今回の衆議院選挙の後に朝日新聞が行った世論調査で、安倍内閣の下での9条改憲に賛成が36%で、反対が45%になっ たということです(10月25日)。また、今朝の京都新聞によれば、共同通信が今月の1日と2日に行った調査でも、9条改憲反対が52.6%で、賛成が38.8%になって います。このような世論動向が続く限りは、いかに安倍首相といえども、簡単には、改憲の発議の暴挙に打って出ることはできないと思います。 そうであるとすれば、私達は、このように9条改憲には反対であるという意思表示を今後とも示していくことが必要だし、さらに多くの人達を9条改憲反対の陣営に加わってもらうべく運動を進めることが重要になってくると思います。 そのためには、もちろん、9条改憲の危険性と9条を守ることの意義をわかりやすく説いていくことが必要だと思います。 そこで、以下には、私なりに9条改憲の危険性と9条を守ることの意義について簡単に お話することにしたいと思います。

 

二  9条2項を空文化する3項加憲論

   まず、安倍首相は、9条3項の加憲論について、3項に自衛隊が明記されても、「自衛隊はいままで受けている憲法上の制約は受ける」と述べ、保岡・自民党憲法改正推進本部長は、「9条の政府解釈を一ミリも動かさないで自衛隊を位置づける」と述べていますが、これらの言葉をそのまま受け止めことはできません。3項加憲によって、9条2項は実質的には死文化し、あるいはその解釈は根本的に変更されることになると思われます。

(1)自衛力論から「自衛戦力」論への転換、無制約な軍事力の保持へ

   第 1 に、従来政府は、自衛隊は9条2項が禁止する「戦力」には当たらず、必要最小限度の実力(自衛力)であるとしてきました。このような「自衛力」論は、自衛隊の違憲論を回避するために考え出された議論ですが、自衛隊の存在を3項に書き加えれば、このような「自衛力」論を採り続ける意味はなくなります。2項との矛盾を解消するためには、いずれは、2項では自衛のための戦力の保持は認められるというように「自衛戦力」合憲論へ解釈を変更することになると思われます。

   その結果、2項の戦力不保持規定は実質的に空文化し、従来自衛隊に付されていたもろもろの制約は取り払われることになります。従来は保持を禁止されていた「他国に対して侵略的脅威を与えるような兵器」、例えば、長距離爆撃機や攻撃型空母もその保持が可能となり、核兵器も自衛戦力の一環として無制限な保有が可能となります。

(2)安保法制(戦争法制)の合憲化のみならず、フルスペックの集団的自衛権肯認へ

   第2に、3項加憲によって集団的自衛権の行使が全面的に容認されることなると思われます。3項の文言がどのようなものになるかは、まだ分かりませんが、かりに「前項の規定は、わが国を防衛するための必要最小限度の実力組織としての自衛隊を設けることを妨げるものではない」といった規定になったとしても、ここで容認されている「自衛権の行使」の中には個別的自衛権のみならず、集団的自衛権の行使も含まれるであろうことは、 ほぼ確かだと思われます。従来の自民党の自衛権理解によれば、自衛権の中には本来個別的自衛権も集団的自衛権も含まれるとしてきたからです。これによって、安保法制(戦争法制)が認めた限定的な集団的自衛権だけではなく、フルスペックの集団的自衛権の行使が認められることになります。専守防衛や海外派兵禁止の憲法原則はこうして放棄され、日本は海外に出て行って戦争を行うことが憲法上可能となります。3項加憲がまさに「海外での戦争への道」を意味する所以です。

(3)交戦権否認規定の空文化

   第3に、このこととも関連して、3項加憲によって、9条2項の「交戦権」否認規定も、同様に空文化することになります。従来政府は、交戦権の意味について、「交戦国が国際法上有する種々の権利の総称であって、相手国兵力の殺傷及び破壊、相手国の領土の占領、そこにおける占領地行政、中立国船舶の臨検、敵性船舶の拿捕等を含む」と説明してきました。そして、「わが国を防衛するための必要最小限度の実力行使」は「交戦権の行使とは別のもの}として、合憲としてきました。つまり、個別的自衛権の行使は、交戦権否認規定には抵触しないとしてきたのです。しかし、3項加憲で自衛隊の存在が明記され、上述したように、集団的自衛権の行使も容認された場合には、個別的自衛権の行使のみなら ず、集団的自衛権の行使も、交戦権否認規定には抵触しないという解釈になると思われます。こうして、交戦権否認規定も実質的には空文化することになると思われます。

 

三 国民の人権・生活に重大な影響をもたらす「3項加憲」

   3項加憲は、国民の生活や人権にも重大な影響をもたらすであろうことは必至だと思います。3項加憲によって日本の社会全体で「軍事優先の論理」が大手を振ってまかり通ることになると思われます。この点は、必ずしも十分には周知されていないようですので、 ここでは、特に強調しておきたいと思います。

① 徴兵制・軍事的徴用制の導入

 第 1 に、3 項加憲によって、徴兵制や軍事的徴用が合憲とされると思います。これまでは、徴兵制は「公共の福祉」には合致しないとして違憲とされてきました。政府の解釈によれば、「徴兵制は、公共の福祉に照らして当然に負担すべきものとして社会的に認められるものではないのに、兵役といわれる役務の提供を義務として科されるという点にその本質があり、平時であると有事であるとを問わず、憲法13条、18条などの規定の趣旨からみて許容されるものではない」としてきました。しかし、3項加憲によって自衛隊は、いわば憲法上の公共性を付与されることになります。そうとすれば、自衛隊のための役務の提供は、公共性をもつことになり、合憲となると思われます。徴兵制もその他の軍事的徴用も合憲となります。そのことを、私たちは、多くの国民、特に若者達に訴えていくことが必要だと思います。

② 自衛隊基地のための強制的な土地収用

 第2に、自衛隊のための強制的な土地収用も合憲となります。現在の土地収用法は、戦前の土地収用法とは異なり、強制収用が可能となる「公共の利益となる事業」の中には自衛隊の基地建設を含めておりません。しかし、3項加憲によって自衛隊が公共的存在となれば、自衛隊の基地建設のための強制的な土地収用は「公共性」をもつことになります。 日米安保の下で辺野古基地建設が強行されているのと同様のことが自衛隊の基地建設についても起きると思われます。

③ 自衛隊基地訴訟への悪影響

 第3に、これまでにも多数の自衛隊基地訴訟が提起されてきましたが、3項加憲によって自衛隊基地の違憲訴訟が提起できなくなることはもちろんのこと、自衛隊機の運行差し止め請求も基本的に認められなくなるでしょうし、さらには、損害賠償訴訟でも住民の受忍義務が強く出てくると思われます。

④ 軍事機密の横行

 第4に、3項加憲によって、軍事機密の存在が憲法上認知されることになります。すでに特定秘密保護法では「防衛に関する事項」が広範囲に秘密とされていますが、しかし、現在の憲法の下ではその違憲性を争うことができます。それが、3項加憲がなされた場合には、違憲論は封じられることになります。また、先頃の国会ではPKOの「日報」について限定的であれ、情報公開がなされて大問題となりましたが、3項加憲で、これらの情報公開は全面的に認められないことになります。自衛隊の活動はほぼ完全にブラックホックスの中に入れられることになり、国民の知る権利は封じられることになると思います。戦前の大本営発表のような事態の到来を私達は覚悟しなければなりません。

⑤ 軍事費の増大と社会保障費の削減

 第5に、3項加憲が財政面に及ぼす影響も大きいと思われます。すでに安倍政権の下で、防衛費は5兆1千億を超えていますが、自衛隊が憲法的公共性をもてば、アメリカからの要請をも受けて、軍事費はうなぎ登りに上昇することになると思います。そして、それに反比例して社会保障費は削減されることになります。まさに「バターから大砲へ」の大転換がなされると思います。

⑥ 軍産学複合体の形成、「死の商人」の登場

 第6に、3項加憲によって日本でも本格的な軍産学の複合体が形成されるであろうということです。かつての武器輸出三原則は安倍政権の下で、防衛装備移転三原則へと変更されましたが、3項加憲によって、日本の産業界は政府の支援の下で軍需産業の強化と武器輸出に大手を振って乗り出すことになると思われます。軍需産業は、戦争が起きれば起きるほど武器が売れて儲かるわけですから、本質的に戦争を好む産業です。いわば「死の商人」です。そのような軍需産業の強化によって、日本社会全体が、アメリカなどのように 戦争に親和的な社会へと変質していくであろうことが危惧されます。

⑦ 自衛官に対する軍事規律の強化

 第7に、3項加憲によって、自衛官に対する軍事規律が強化されることも無視できません。自衛隊法(122条)は、防衛出動命令を受けた隊員が正当な理由なく職務離脱を行った場合や上官の命令に反抗し又はこれに服従しない場合には、7年以下の懲役又は禁固に処すると規定しています。敵前逃亡や抗命罪は死刑というのが、諸外国の軍隊の論理ですが、自衛隊は軍隊ではないということで、死刑はこれまでありませんでした。しかし、自衛隊が3項加憲で憲法的認知を受けた場合には、自衛隊は軍隊として軍事規律も強化されて、敵前逃亡や抗命は死刑となる可能性が高いと思われます。 安倍首相は、「自衛隊は違憲かもしれないが命を張れというは無責任」と言って3項加憲を主張していますが、しかし、3項加憲によって、自衛官は海外に出動して命を落とす危険性がはるかに増大することになります。のみならず、軍事規律の強化によって死刑を科される危険性も生まれてきます。逆説的な言い方をすれば、憲法9条こそが、自衛官の命を守ってきたことを、自衛官やその家族の人達に訴えていきたいものです。

 

四 9条全面改憲のための「第一段階」としての3項加憲論

(1)2項全面削除(9条の「武力によらない平和」主義の全面廃棄)への布石

 3項加憲は、このように9条2項を空文化し、日本を海外でも戦争をする国にすると共に、国民の生活や人権にも甚大な悪影響を及ぼすことは必至ですが、それでも9条2項は形の上では残りますので、3項との矛盾も解消されないまま残ることになります。その矛盾を完全に解消するためには、2項、とりわけ交戦権否認規定の削除が必要になってきます。現に、3項加憲論を昨年提唱した日本会議の伊藤哲夫氏は、3項加憲を2項削除のた めの「第一段階」と位置づけています。安倍首相も、その著書『新しい国へ』(2013 年)で、「わが国の安全保障と憲法(=交戦権否認規定)との乖離を解釈でしのぐのはもはや限界である」と述べて、つとに2項の改憲の必要性を説いています。自民党の佐藤正久氏は、党の改憲推進本部の会合で、3項加憲論を支持して、「ホップ・ステップ・ジャ ンプで考えると、まず第一歩が大事。自衛隊の明記を最優先すべきだ」と述べています。3項加憲は、三段跳びの改憲の第一歩と位置づけられているのです。

(2)緊急事態条項、軍法会議の設置のための改憲への布石

 そして、それは、2項削除のみならず、軍法会議の設置や緊急事態条項の導入へと至るものと思われます。緊急事態条項の導入については,自民党は、今回の選挙公約にも掲げている通りです。結局は、2012年の自民党の「国防軍」の創設や緊急事態条項を定めた改憲草案へと近づくことになるのです。このようなねらいをもつ3項加憲を、私たちは決して認めてはならないと思います。

 

五 9条が果たしてきた積極的な役割

 以上のように、9条改憲がきわめて危険なものであることを明らかにするとともに、他方で、憲法9条が公布以来71年間きわめて重要な役割を果たしてきたことをも今一度確認することが必要だと思います。

① 戦後70年間の日本の平和の維持に貢献

 戦後70年間、日本がまがりなりにも戦争を行ってこなかったことは、日本の近現代史の中で稀有なことですが、それはひとえに9条があったからです。自民党などは、日米安保と自衛隊があったからだと主張していますが、しかし、9条がなかったならば、日米安保の下で自衛隊は、ベトナム、イラク、アフガニスタンなど海外に出兵し、多数の戦死者を出していたであろうことはほぼ確実です。そのことは、お隣の韓国をみても、明らかで す。そのような事態をさけることができたのは、ひとえに9条があったからです。そのことを、私たちは、今改めて強調したいと思います。

② アジアなど諸外国に対する「不戦の誓い」

 また、9条は,アジアを初めとする国際社会に対する不戦の誓いとしての意味を持ってきました。そのような誓いをもつことで、日本は戦後の国際社会の中でそれなりに積極的な評価を受けてきました。「9条ブランド」が、少なくともこれまではテロの標的になることを阻止する役割も果たしてきました。

③ 「自由の下支え」としての役割

 国内的にみれば、9条は、戦後日本社会で「自由の下支え」としての役割を果たしてきました。「軍事の論理」がまかり通るところでは、市民的自由が大幅に制限され、抑圧されることは戦前の日本が示しているとおりです。近年、安保法制の制定と相前後して、特定秘密保護法や共謀罪法が制定されたのも、戦争体制の構築が市民的自由の制限と結びついていることを示しています。9条が果たしてきたこのような役割を私たちは改めて確認し、今後とも維持することが必要だと思います。

④ 「大砲よりもバター」の選択

 古来、「大砲かバターか」という言い方がなされてきたのは、軍事優先の財政施策と国民生活の発展とは相矛盾することが経験的にも証明されてきたからです。戦後日本の経済発展は、「大砲」のための防衛費を相対的に低く抑えてきたことに大きく起因しています。その意味で、9条が戦後の経済発展や福祉国家の進展に少なからざる役割を果たしてきたことも改めて留意されるべきだと思います。

⑤ 平和的生存権の基盤としての9条

 日本国憲法がその前文と9条で示している平和的生存権の思想は、日本国憲法が世界の人権思想の発展に大きく貢献することができるものです。国際連合は、昨年12月に「平和への権利宣言」を採択しましたが、これは、平和を享受することをそれ自体基本的人権ととらえる画期的な国際文書です。この条約の1条では、「すべての人は、すべての人権が促進・保護され、かつ発展が十分に実現されるような平和を享受する権利を有する」とうたわれています。このような国際的な潮流の最先端を切り拓いたのが,日本国憲法の平和的生存権ですが、それは、まさに9条があったからこそ,構築できたことが再確認されるべきだと思います。

 

六  北朝鮮問題への対応と国際社会の動向

 たしかに、現在、北朝鮮が核開発や弾道ミサイル開発を加速させ、日本の上空をミサイルが飛ぶような事態は、多くの国民に不安を与えています。安倍首相は、このような状況の下で断固たる「圧力」を北朝鮮にかけ続けるために、自分に強力な権限を与えて欲しいと言って選挙に打って出ました。

① 安倍首相の「対話なき圧力」の果てにいかなる和平の展望があるのか(?)

 安倍首相は、国連総会の演説でも、「必要なのは、対話ではなく、圧力だ」と述べました。そして、トランプ大統領が、「軍事力行使を含むすべての選択肢がテーブルの上にある」と述べていることを全面的に支持しています。しかし、「対話」なしの「圧力」の先に果たしてどのような展望を描いているのでしょうか。その具体的な展望を安倍首相はなんら語っていません。というか、語ることはできないのです。今朝の読売新聞の調査でも、「対話重視」が48%で、「圧力重視」の41%を上回っています。もちろん、北朝鮮の核開発は断じて容認できません。そのために一定の経済的圧力は必要だと私も思います。しかし、「圧力」だけでは、和平の展望は開けません。北朝鮮との多国間の対話や交渉によってはじめて和平への糸口が開けてくるものと思われます。現にアメリカや韓国などは水面下で北朝鮮との交渉を続けているといわれています。安倍首相の圧力一辺倒の政策では、逆に、「窮鼠猫をかむ」の譬(たと)えではありませんが、北朝鮮からの武力行使を誘発する危険性をも増大させると思われます。

② 「核抑止」論の破綻と核廃絶への平和的「対話」の必要性

 北朝鮮が核開発とミサイル実験を繰り返している背景には、十分な核兵器をもつことによってアメリカからの攻撃を阻止することができるという「核抑止論」があります。しかし、このような「核抑止論」は根本的に間違っています。その証拠に、一連の核開発によって北朝鮮の安全が強化されたかといえば、その逆で、アメリカとの軍事衝突の危険性がますます増加しているのです。「核抑止論」は北朝鮮をも危険に陥れているのです。

 しかも,北朝鮮の核開発は韓国の核武装論を誘発しており、さらには、日本でも核武装論や非核三原則見直し論の兆しが見え隠れしています。北朝鮮と韓国、そして日本までも核武装をするような事態になったならば、東北アジアの平和はまさに危機的状態に陥ります。

 そのような事態に陥らないようにするためには、朝鮮半島のみならず、日本を含めて東北アジア地域を非核地帯にすることが必要です。そのことをいまこそ日本の側から提案することが必要だし、また有益だと思われます。日本や韓国がアメリカの「核の傘」の下にありながら、北朝鮮の非核化だけを要求しても、北朝鮮に受け入れられることはないと思 われます。六者協議を再開して、その場で、日本の側から積極的に「東北アジア非核地帯条約」の提案をするのです。憲法9条をもち、初の被爆国である日本がいまできることは、そういうことだと思います。

③ 「核兵器禁止条約」(122カ国賛成)への参加

 おりしも今年の7月7日に国連会議で、核兵器禁止条約が122カ国の賛成で採択されました。非常に残念なことに、日本政府は、この条約の締結に反対して採決にも加わりませんでしたが、しかし、この条約によって、核兵器の開発、実験、生産、貯蔵、移転などが禁止されるとともに、核兵器の「使用の威嚇」も禁止されることになりました。この条約の基礎にあるのは、核兵器が「非人道」的な兵器であること、そして、「核抑止」論が決して妥当性をもつものではないことについての共通認識です。

 そして、大変喜ばしいことに、この核兵器禁止条約の採択に尽力したICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)が、今年のノーベル平和賞を受賞しました。

 ところが、日本政府は、こうした国際社会の動きに背を向けています。さる10月27 日、日本政府は、従来から提案していた核兵器廃絶決議案を国連の軍縮安全保障委員会に提案し、144カ国の賛成で採択しましたが、賛成国は昨年から23カ国少なくなりまし た。この決議案は、昨年よりも表現が大幅に後退しただけでなく、核兵器禁止条約にはなんらの言及もしないものであったからです。ICANの国際運営委員をしている川崎哲氏は、これでは、「核兵器国と非核兵器国との橋渡しをするよりはむしろ分断を拡大させ、 核兵器廃絶の流れに水をさすものだ」と述べているが、その通りだと思います。日本政府が、核兵器廃絶にそのような消極的な対応をとっている限りは、北朝鮮の核開発の阻止の主張も、十分な説得力を持ち得ないと思われます。 しかし、私たちは、国際世論がむしろ核兵器禁止条約に示された方向に着実に進んでおり、それが、憲法9条が指し示す方向であることを確認して、その流れを強化促進するように努力することこそが、私たちの課題であると思われます。

 

七  結びに代えて

 いずれにしても、9条が重大な危機を迎えて今こそ、全国の9条の会や「全国市民アクション」などを中心として、9条改憲阻止の運動を全国各地で展開することが必要になってきています。

 冒頭に申しあげましたように、国会での9条改憲の発議を阻止できるかどうかは、ひとえに9条改憲反対の国民世論の盛り上がり如何にかかっています。本日のこの集会が、そのような世論形成のための新たな出発の会となることを心より期待しております。

 私の話は、以上です。どうもご静聴ありがとうございました。

                                                  (以上)

 *以下は、9条科学者の会・日本科学者会議共催の『日本の政治はどこへ向かうか 2017秋の講演会』における、志田陽子さん(武蔵野美術大学教授)の講演レジュメです。個人・尊厳・平等にもとづく家族論、開かれた憲法論を論じています。是非ご一読ください。

 

                                       9条科学者の会2017年11月25日講演会

家族:開かれた憲法論に向けて――個人・尊厳・平等

                             

                             志田陽子(武蔵野美術大学教授・9条科学者の会共同代表)

 

はじめに

 国連女性差別撤廃条約とその委員会による2016年3月の「見解」

 日本の家族・男女平等・ジェンダー問題の領域に必要な《他者の目》

 女性差別撤廃条約が指摘する課題⇒まだ十分に可視化・認識されていない不利益や負担を、法的に斟酌すべき社会的事実として認識し整理する必要が。

 政府がこの課題を十分に認識できない場合には、国民がこの課題の担い手になる必要がある。

 

1.日本の現状――2015年時点での裁判の到達点と、山積する課題

 

(1)日本の最高裁判例

 日本国内で近時に出されてきた一連の最高裁判例の要点

 ① 2008年の国籍法違憲判決(最大判平成20年6月4日)。フィリピン国籍の母と日本国籍を有する父との間に婚外子として出生した原告らが、国籍法3条1項を憲法14条「法の下の平等」違反で訴えた。⇒法令違憲判決。

 ② 2013年の婚外子相続分規定違憲決定(最大決平成25年9月4日)。法律婚をしていない男女間に生まれた婚外子(非嫡出子)の相続分を、法律婚による子(嫡出子)の半分とする民法900条4号但書の規定は憲法14条「法の下の平等」違反だ、との決定。

 ③ 2015年の再婚禁止期間規定一部違憲判決(最大判平成27年12月16日)。女性だけに6カ月間の再婚禁止期間を定めた民法733条1項の規定について、最高裁は、このうち100日を超える部分を憲法14条1項(法の下の平等)、24条2項(両性の本質的平等)に反し違憲と判断。100日までの期間は、父子関係を確定して、子の法的な身分を安定させることに合理性を認め、合憲とした。

 ④ 2015年の夫婦同姓規定合憲判決(最大判平成27年12月16日)。夫婦同姓を義務付けている民法750条は憲法13条、14条、24条に違反するとの主張に対し、最高裁は、同規定を合憲と判断。

 

(2)山積する課題

 貧困の女性へのしわ寄せ(アメリカ民謡『朝日のあたる家』)

 現代の国際社会に残存する「人身売買問題」

 働きたい女性にとっての障壁――育児の負担と施策の遅れ

 教育と貧困の相関関係を直視した政策を

 弱者虐待――幼児虐待(育児放棄)、家庭内での老人虐待(介護放棄や殺人)、

 施設内での障害者や高齢者への虐待など。

 育児・介護の負担が個人の限界を超えたときの施策の不足

 夫婦同姓強制による現実的な不利益・負担

 LGBTの権利実現の遅れなど

   ――同性婚、または婚姻と同等の実利効果のあるパートナーシップ制度

 

 これらの問題は、すべて女子差別撤廃条約および委員会において重要関心事。委員会からの見解・勧告に、加盟国を直接に拘束するような強制力はないが、国際条約は本来、加盟国が国内実施する責任を負っている。

 

(3)《社会の変化》と負担の可視化、価値選択

 これらの判決に共通する思考枠組み:《社会の変化があったため、問題となった規定(立法趣旨・立法目的と規制の関係)の合理性が失われた》。

 

 ・変化したもの:実際に「変化」したのは、15名の裁判官の意見中の合憲論・違憲論の数バランス(とくに2013年判決は全員一致)。意見の分岐は、主に司法と立法の役割配分についての見解の相違。多数の裁判官がこれらの規定を違憲とする見解を持ちながら、合憲判決を出していた。

 ・《社会の変化》を違憲判断の根拠とする論法の落とし穴(あるいは背理):2015年の夫婦同姓規定合憲判決では「夫婦同姓は社会に定着している」。⇒夫婦別姓や同性婚のように、それを認める制度がないところでは、当事者は、現行の選択肢を選択せざるを得ない。制度を変えない限り変化できないという状況で、「社会の変化の有無」を決定的な判断材料とするかぎり、憲法が要請する基本原則が深刻に阻害されていればいるほど、違憲判断の可能性が遠のく。そうなると、国に立法裁量を認めつつそこに「個人の尊厳と両性の本質的平等」を守るというタガをはめた24条の意味が失われてしまう。

 

 ・女子差別撤廃条約は、2条のfで、女性差別となる法制度の改廃だけでなく、社会のほうの慣習・慣行を修正・廃止することも締約国に求めている。条約の趣旨からすれば、裁判所は《動けない社会の実態》を合憲判断の根拠にするのではなく、法制度への修正を促すことで社会の動きを解放すべき。

 

2.日本国憲法24条(現行)の確認

 

 第24条  婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

 ② 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

 

(1)条文が目指しているものと、価値観の競合

 中心的な意味:強制結婚の禁止・家父長制の解体と、個人の尊厳、婚姻の自由

 「個人の尊厳」から見る家庭内弱者への視点

 

 家族と婚姻をめぐる社会的現実や人々の意識は、せめぎ合う複数の価値観の間で揺れ動いている。

 ・戦前の社会文化規範を「よき伝統」として懐古する家族道徳観

 ・憲法が目指す解放的かつ開放的な方向性

 ・封建的・身分制的な家制度からは脱却しつつ、男女の役割分担の固定を前提とする「近代家族」は、その妥協の産物。そこに内包される軋轢は、主として女性が吸収してきたが、現在、その無理が噴出している。

 強制結婚のように現行憲法が否定したものをそれとして認識し、家族制度から取り除かなければならない。その作業は、まだ終わっていない。

 

(2)憲法13条、14条、24条の解放性と開放性

 憲法24条の中核部分は、《過去の家父長制的な家制度(強制結婚のような、女性の人格的自律を否定してきた法制度)からの解放》。そこから先、解放された各人がどのような人間関係を取り結ぶことが期待されているのか、何が望ましい人生像であり家族像なのか、という問題は、13条「個人の尊重」「幸福追求権」、14条「法の下の平等」、24条「婚姻の自由・平等」「家族関係における個人の尊厳、両性の本質的平等」を基礎としつつ、各人および未来の社会に対して開放されている。

 個人各人の人格的自律に根差した《自分らしく生きる権利》が究極のゴールであり、婚姻の自由や家族制度の保護はその一局面。

 しかし、今はまだ、そうした《個人としての解放》を支える支援的措置が必要。《女性の権利》が必要とされるのは、そうした文脈から。婚姻や家族関係は、各人の人格的自律と直結しているものとして、憲法24条に定められた基本原則の枠内で確保。(←「枠」とは、国家の干渉に対して、国民の側の自由を守れ、という立憲主義の「枠」)

 

(3)開放性と国際条約

 1(1)で見た国内の判決の流れも、世界的な問題関心の中に位置づけて考えなければならない。

     ⇒国連女子差別撤廃条約(および委員会)や児童権利条約など

 これらの国際条約は、加盟国が国内実施する義務を負っている。

 憲法は本来、人権の発展に対しては開かれている。抽象的・包括的な内容をもつ13条、14条と同じく、24条も、法制度がより積極的な支援の方向へと発展することについて開かれている。とくに2項の「法律は…」という言葉は、国家が法政策を行っていく広い余地(立法裁量)を認めているが、この余地は、そのためにこそ生かされるべきもの。その方向であれば、裁判所が国会に先立って憲法規範に合う結論を選択することについても開かれている、と言うべき。

 

(4)開放性と法的安定性

 民法でしばしば言われる「法的安定性」は、夫婦同姓ルールや同性婚を認めないルールのように《制度と社会的現実が相互に拘束し合う場面》では、多様性の承認や個人の自律に向けた社会発展を阻む要因となりうる。(諸刃の剣)

 この領域で、憲法の観点から見て望ましいと考えられる法的安定性への配慮とは、違憲判断を控えることではなく、必要な違憲判断の後に生じる利害の混乱を抑えるために方策を講じることである(2013年決定で、相続分が変更されることの遡及効を限定する、といった配慮)。

 

 

3.日本国憲法24条 2012年改正草案

 

(1)2012年自民党改憲草案 第24条

 2012年自民党改憲草案 第24条

 家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。

 2 婚姻は、両性の合意★に基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。(★「のみ」が削除される)

 3 家族、扶養、後見、婚姻及び離婚、財産権、相続並びに親族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

 

 (参考)世界人権宣言16条3項  家族は、社会の自然かつ基礎的な単位であり、社会及び国による保護を受ける権利を有する。

 

 ポイントは、

 ・両当事者の自由・平等が最初に掲げられている現行憲法に対し、改正案では、家族の助け合い義務が最初(条文中の総則部分)に来ている。現行憲法2項の「個人の尊厳と両性の本質的平等」は、1項の当事者の自由・平等と対立しない内容なので、順序が最後でも問題ないが、改正案では、改正案(新設)1項と改正案3項の「個人の尊厳・両性の本質的平等」が緊張関係に立つ。このとき、新設され、しかも1項に置かれた「家族」の「義務」が優先することとなる。⇒条文の意味がまったく変質してしまう。

 ・上記1と2でリストアップした諸問題にとって、この改正は解決の方向に向かうのかどうか。

 

(2)「家庭」「家族」を対象とした法政策の新設

 「家庭教育支援法案」

 「親子断絶防止法案」 (離婚家庭の面会などに関するルール)

 内閣府の進める婚活支援策」

 

 家族に関わる法律案や施策の現実化に向けた動きが急速に高まっている

なぜ国家が家族への干渉を強めているのか⇒「子ども」の育成への関心

しかし国家が次世代の育成を関心事とするという通常の意味とは異なった特異性が見られないか

 ・形式面での強要性

 ・内容の非合理性

 ・実施方法の全域性

 国家が家族の望ましい姿を定め、直接に人々のライフスタイルや行動をある方向に向けて「支援」しようとしている。

 ・この方向は、2006年の「教育基本法改正」で、すでに示されていた。

 改正教育基本法10条 父母その他の保護者は、子の教育について第一義的に責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。

 2 国及び地方公共団体は、家庭教育の自主生を尊重しつつ、保護者に対する学習の機会及び情報の提供その他の家庭教育を支援するために必要な施策を講ずるよう努めなければならない

(現在の「家庭教育支援法案」は、この条文の具体化)

 

 

4.日本国憲法24条の意味の再確認とこれに基づく展望

 

 (1)憲法改正や各種法案・推進中の施策は、人権の開かれた発展に資するか

 ・「個人の尊厳」「自由」「平等」と家庭内弱者虐待の問題:

世話しきれない状況に対して手を差し伸べる政策を

 ・同姓婚の許容に憲法改正は必要か――NO。

 

 上記の「3」の憲法改正や各種法案・推進中の施策は、「1」で見た各種の問題への解決を提供するか。⇒かなりのものが、関連性が不明でその合理性に疑問がある。

 上記「3」の憲法改正や各種法案・推進中の施策は、憲法24条の解放性・開放性に沿うものとなっているか。・⇒NO。先に見た解放性と開放性(多様性・発展可能性)に対し、特定の家族像へと支援対象ないし支援方向を特定する方向。

 

 (2)開放性の視点から・法のメッセージ機能

 社会の動きをまず解放する:上記のような個別事例で当事者の過剰で不平等な負担を取り除くには、銀行など市民生活にとって重要かつ公共性の高いサービス機関に対して、そのような形で特定のライフスタイルを間接強制する慣行を改めるよう、法律または行政指導を通じて命じるような方策もありうる。が、もう一つの考え方として、少なくとも裁判所が民法の規定に対して違憲判決を出し、国会がこれを真摯に受け止める改正作業に取り組めば、経済社会のほうも多様なライフスタイルを認める方向で影響をうけることが期待される。

 たとえばLGBT問題に関しては: 2015年、渋谷区と世田谷区は、同性カップルに「パートナーシップ」公認の証明書を発行することを条例化し、実施している。この動きによって、病院、住宅購入(銀行融資)など社会の側が動きを見せた。

 

(3)多様性と制度的承認の緊張関係

 現在、LGBT問題を含め、個人と文化的集団の多様なあり方を認めることは、「文化多様性」の観点から肯定されている。一方、現在のLGBTの承認を求める運動の関心は、同性婚ないし婚姻に準じる制度を求めることに注がれている。ここには、《多様性の確保》と《承認を求める主張》との緊張関係が生じている。

懸念される負の作用:LGBTの生き方のなかで尊重されるのは既存の家族スタイルに回収できる事柄だけで、それを選択しない者は依然として排除の対象?

 ⇒婚姻・家族関係について定めた憲法24条について開かれた解釈 を模索すると同時に、各人の生き方・あり方に立ち入ってその線路に乗らない者との間に分断線を引くような成り行きを避ける必要がある 。多様性とは、常に旧来の制度・知識では補足しきれない事柄への認容を含む思考。

 

(4)表現規制へ向かうことは勘違い

 国際社会が日本の漫画・アニメ表現に対して、良識ある自制を求めている部分がある。児童ポルノははっきりと規制を求め、ジェンダー・ギャップを助長するような表現には配慮を求めている。しかし、たとえば女子差別撤廃委員会は、新たな法規制を求めてはいない。差別撤廃や女性の活躍応援、子どもの健全な育成を目的にした政策が「表現規制」へと向かうことは、方向違いになることに注意。

 そうした本末転倒に陥る可能性を避け、差別撤廃と児童福祉のための直接的で緊要な現実的問題のほうに関心と資源を集中する必要が。

 「表現規制の前に、その目的に照らして試みるべき支援的な政策すでに十分に試みたか」を問うこと、さらに「表現規制を提案するならば、その前に、より現実的な問題に対して救済・支援型の政策を実行すべきである」と立法者に向けて言うことが、政策的賢明さの観点からも、憲法理論の観点からも必要。

 

おわりに ――開かれた憲法論に向けて

 

 憲法はもともと将来に向けて開かれたもの。

21条「一切の表現の自由」や13条、25条(とくに2項)の包括性がその例。

人権の発展性に対しては開かれた構造/国家権力への暴走可能性に対しては護岸壁として機能。

 ⇒人権保障の必要性に名を借りた憲法改正は不要

 

 国際社会から受けているさまざまな提言の具体的内容に強制力はない。しかしその一つ一つに日本(政府)がどう答えるかによって、日本(政府)の見識が測られる。日本(政府)は、少なくとも外からはそう見えている、という《他者の視点》を受け止める必要がある。日本国憲法は、24条、26条(教育を受ける権利)、27条3項(児童労働の禁止)など、女子差別撤廃条約や世界人権宣言や国際人権規約の内容や方向に合致する規定を多く持っており、さらに、これらを基底から支える基盤的権利として、13条(個人の尊重と幸福追求権)、14条(法の下の平等)、前文の「平和のうちに生存する権利」を持っている。法文を見る限りは、国際スタンダードと言える内容の憲法となっている。

 

 しかし日本は、憲法条文の完成度とは裏腹に、まだ自国の憲法を真剣に達成・遵守しているとは言えない現状にある。今、国際社会がさまざまな項目について《気づき》を促している事柄は、じつはそのほとんどが自国の憲法にすでに書き込まれている課題、あるいはそれを達成するために必要な措置である。これに対して真摯に応じなければ、世界の水準から取り残されるだけでなく、自己が宣言している課題を消化できない、つまり自己責任や自己統治を理解できない未熟国ということになる。

 日本がこれを対話の端緒と受け止め、自ら腰を上げることで、国際社会から一目置かれる存在となりうる道も開かれている。 

                                                       了

参考

辻村みよ子『憲法と家族』(日本加除出版、2016年)

林陽子編著『女性差別撤廃条約と私たち』(信山社、2011年)

本田由紀・伊藤公雄編著『国家がなぜ家族に干渉するのか』(青弓社、2017年)

志田陽子「セクシュアリティと人権」石埼学ほか編『沈黙する人権』(法律文化社、2012年)

志田陽子「婚姻と家族をめぐる憲法訴訟における『変化』」月報司法書士543号、2017年)

志田陽子「LGBTと自律・平等・尊厳 なぜ憲法問題なのか」(法学セミナー753号、2017年)

志田陽子「表現内容に基づく規制――わいせつ表現・差別的性表現を中心に」阪口正二郎・愛敬浩二・毛利透編著『なぜ表現の自由か――理論的視座と現況への問い』(法律文化社、2017)

 

 *以下は、清水雅彦さん(日本体育大学教授)「『安保法制』と9条改憲」PeaceNight9実行委員会(主催)九条の会東大(共催)PeaceNight9集会『9条変えるとどうなるの?』2017.12.21での講演レジュメです。

 

PeaceNight9
                                    「安保法制」と9条改憲
                                                        

                                  2017.12.21 清水雅彦(日本体育大学・憲法学

はじめに


一 自民党の集団的自衛権行使容認論・ガイドライン再改定・戦争法
 1 解釈改憲(集団的自衛権行使容認の政府の閣議決定)
    ① 従来の政府の9条解釈と見解
    ・9条2項…「戦力」は「自衛のための必要最小限度の実力を超えるもの」
     →「実力」は憲法上保有できる(自衛隊を違憲としない政府の解釈)
    ・自衛権行使の3要件(1954年政府見解)
     …我が国に対する急迫不正の侵害があること
          これを排除するために他の適当な手段がないこと
      必要最小限度の実力行使にとどまること

  ② 2014年7月1日の閣議決定で新3要件決定
     …a,我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国
      に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及
      び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合、b,これを排除し、我が国
      の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないとき、c,必要最小限度の実力
      を行使することは許容される、という3要件に該当する場合は武力行使可能 
          →集団的自衛権行使も「集団安全保障」への参加も可能

 2 ガイドライン再改定
  ① 日米安保体制の経緯と内容
        ・1951年日米安保条約署名(半植民地条約)
     …一方的な基地貸与条約(全土基地方式)、米国に日本の防衛義務なし、日本の再軍備義
      務、内乱条項
    ・1960年安保改定
          …政治・経済協力規定(2条)、軍備増強義務(3条)、協議制度(4条)、片務的な日米共
      同作戦行動規定(5条)、日本の基地提供義務・極東条項(6条)
    ・1970年安保自動延長
    ・1978年日米防衛協力のための指針(ガイドライン)締結
          …侵略未然防止・日本有事・極東有事で構成
            日本有事の作戦計画OPLAN5051・中東有事の作戦計画OPLAN5053作成
    ・1997年ガイドライン改定
     …平時・日本有事・周辺有事で構成
            朝鮮有事の作戦計画OPLAN5055作成(現在は政権崩壊対応のOPLAN5030)

  ② 2015年ガイドライン再改定
        ・2015年4月27日ガイドライン再改定
    ・米国…2012年DSG(米国防戦略指針)で国防予算削減
        2014年QDR(4年毎の国防計画見直し)で4軍削減・サイバーや宇宙優先
        アジア太平洋地域重視、中国は脅威であると同時にパートナーシップ
    ・日本…安倍政権の「積極的平和主義」、集団的自衛権行使容認閣議決定に対応
        97年ガイドラインを越える自衛隊のイラク派兵・ジブチ基地など
        中国は脅威であり南西地域防衛態勢強化
    ・平時から緊急事態(グレーゾーン~グローバル有事)の「切れ目のない」対応
     …「アジア太平洋地域およびこれを超えた地域」
      「日米同盟のグローバルな性質」
    ・「周辺事態」の削除
     …周辺事態法1条「そのまま放置すれば我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのあ
      る事態等我が国周辺の地域における我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態」
    ・「後方地域支援(rear area support)」の削除
     …「後方支援(logistics support)」へ(後方から前線までの兵站)
    ・宇宙及びサイバー空間に関する協力
    ・必要に応じて設置される調整メカニズムの常設化…同盟調整メカニズム

 3 戦争法
  ① 制定・改正対象法律(2015年5月15日国会提出、9月19日「成立」)
    ・「国際平和支援法」(新法)
    ・「平和安全法制整備法」(一括法)
          …自衛隊法(1954年)改正
           PKO協力法(1992年)改正
      周辺事態法(1999年)改正
       船舶検査活動法(2000年)改正
      武力攻撃事態法(2003年)改正
       米軍行動関連措置法(2004年)改正
       特定公共施設利用法(2004年)改正
       海上輸送規制法(2004年)改正
       捕虜取扱い法(2004年)改正
      国家安全保障会議設置法(1986年)改正

  ② 「武力攻撃に至らない侵害への対処」関係(分類は3月20日与党合意文書)
    ・離島の周辺地域等での侵害への対処
     …「領域警備法」の制定は見送り
     …自衛隊の治安出動(自衛隊法78条)や海上警備行動(同82条)の手続の迅速化(5月14
      日閣議決定)
    ・日本の領海・内水での無害通航に該当しない航行を行う外国艦船への対処
     …自衛隊の海上警備行動(同82条)の手続の迅速化(5月14日閣議決定)
    ・平時からの米軍等の武器等の防護
     …米軍等の武器等の防護のための武器使用(自衛隊法95条の2)

  ③ 「わが国の平和と安全に資する活動を行う他国軍隊に対する支援活動」関係
    ・後方支援と「武力行使との一体化」論の変更
     …周辺事態法の「後方地域」「非戦闘地域」はやめ、「現に戦闘行為を行っている現場」以
      外での「後方支援」実施、「周辺」という事実上の地理的制約削除のために「重要影響
      事態法」へ改正、米軍と米軍以外の他国軍隊も支援、弾薬の提供・発進準備中の航空機
      などへの燃料補給も

   ④ 「国際社会の平和と安全への一層の貢献」関係
    ・テロ対策特措法やイラク特措法の時限立法はやめて「国際平和共同対処事態」に米軍等支
     援の恒久法(「国際平和支援法」)制定、国会の事前承認は基本だが衆参各7日以内の議決
     努力義務
    ・PKOなどの国際平和協力活動の拡大(PKO協力法の改正)
     …駆け付け警護・治安維持活動も可能に、国連が統括しない停戦監視・安全確保・人道復
      興支援活動等への参加も、自己保存型・武器等防護から任務遂行のための武器使用(PKO
      協力法24条→25条)の拡大

  ⑤ 「憲法第9条の下で許容される自衛の措置」(集団的自衛権行使)関係
    ・自衛隊法3条の自衛隊の任務規定の変更
     …「自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略
      に対し我が国を防衛することを主たる任務とし……」の下線削除
    ・「存立危機事態」の追加
     …自衛隊の防衛出動の要件(自衛隊法76条)に他国への攻撃・「存立危機事態」を追加
         …武力攻撃事態法に「存立危機事態」を追加、「武力攻撃事態・存立危機事態法」に改正

  ⑥ 「その他関連する法改正事項」
    ・臨検
     …船舶検査活動法・海上輸送規制法の改正
    ・他国軍隊に対する物品・役務の提供
     …自衛隊法100条の6の改正
    ・在外邦人の救出
     …在外邦人等の輸送(自衛隊法84条の3)の拡大
      在外邦人等輸送の際の武器使用権限(自衛隊法94条の5)の拡大

 4 集団的自衛権の問題点
  ① 国連憲章上の問題点
    ・1944年のダンバートン・オークス提案にはなかった
    →中南米諸国の要求にアメリカが応えて国連憲章に規定
     その後、NATOやワルシャワ条約機構など軍事同盟成立へ

  ② 行使の実態
    ・アメリカ…1958年レバノン、1965年ベトナム(オーストラリア、ニュージーランドも)、
      1988年ホンジュラス、1990年ペルシャ湾地域(イギリスも)
    ・ソ連・ロシア…1956年ハンガリー、1968年チェコスロバキア、1980年アフガニスタン、
      1993年タジキスタン
    ・イギリス…1958年ヨルダン、1964年南アラビア連邦、2001年アメリカ(フランス、オー
      ストラリアなども)
    ・フランス…1986年チャド
    ・キューバ…1983年アンゴラ
    ・ジンバブエ、アンゴラ、ナミビア…1998年コンゴ
        →主に大国が小国へ侵攻・侵略

  ③ 憲法上の問題点
        ・9条…従来の政府解釈でも否定、9条2項の存在を無視
    ・41条…国権の最高機関性の無視(1954年参議院の「自衛隊の海外出動を為さざることに
        関する決議」)
    ・前文・1条…国民主権の無視(2013年参議院選挙公約になし) 
        ・96条…国会と国民の意思の無視
        「人類普遍の原理」(前文1段)、基本的人権の永久不可侵性(11条、97条)から
        憲法改正には限界がある
    ・99条…公務員には憲法尊重擁護義務がある
    →政府による解釈変更は立憲主義の否定

  ④ 安保条約上の問題点
    ・5条…日本にとっては個別的自衛権の発動としての共同防衛だけ
        ・6条…アメリカへの基地提供規定(5条のアンバランスを補う規定)
    ・NATO、米韓相互防衛条約、米比相互防衛条約などは集団的自衛権規定
    →安保条約上改正なしに日本は集団的自衛権行使できるのか

二 安倍首相らの最近の9条改憲論
 1 2017年5月3日民間憲法臨調・美しい日本の憲法をつくる国民の会共催の第19回公開憲法フ
    ォーラムでの安倍首相のメッセージ
    ・「例えば、憲法9条です。今日、災害救助を含め、命懸けで、24時間、365日、領土、領
     海、領空、日本人の命を守り抜く、その任務を果たしている自衛隊の姿に対して、国民の
     信頼は9割を超えています。しかし、多くの憲法学者や政党の中には、自衛隊を違憲とす
     る議論が、今なお存在しています。『自衛隊は、違憲かもしれないけれども、何かあれば、
     命を張って守ってくれ』というのは、あまりにも無責任です。/私は、少なくとも、私た
     ちの世代の内に、自衛隊の存在を憲法上にしっかりと位置づけ、『自衛隊が違憲かもしれ
     ない』などの議論が生まれる余地をなくすべきである、と考えます。/もちろん、9条の
     平和主義の理念については、未来に向けて、しっかりと、堅持していかなければなりませ
     ん。そこで、『9条1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む』という考え方、これ
     は、国民的な議論に値するのだろう、と思います。」

 2 日本政策研究センターの主張
  ① 『明日への選択』2016年9月号(日本政策研究センター)
    ・伊藤哲夫(日本政策研究センター代表)「『三分の二』獲得後の改憲戦略」
     「ところで、もう一方で提案したいと考えるのが、改憲を更に具体化していくための思考
     の転換だ。一言でいえば、『改憲はまず加憲から』という考え方に他ならないが、ただこ
     れは『三分の二』の重要な一角たる公明党の主張に単に適合させる、といった方向性だけ
     に留まらないことをまず指摘したい。むしろ護憲派にこちら側から揺さぶりをかけ、彼ら
     に昨年のような大々的な『統一戦線』を容易には形成させないための積極戦略でもある、
     ということなのだ。」「……筆者がまずこの『加憲』という文脈で考えるのは、例えば前文
     に『国家の存立を全力をもって確保し』といった言葉を補うこと、憲法第九条に三項を加
     え、『但し前項の規定は確立された国際法に基づく自衛のための実力の保持を否定するも
     のではない』といった規定を入れること、更には独立章を新たに設け、緊急事態における
     政府の行動を根拠づけるいわゆる『緊急事態条項』を加えること、そして憲法十三条と二
     十四条を補完する『家族保護規定』を設けること、等々だといってよい。……」「最後に
     もう一点確認しておきたいのは、これはあくまでも現在の国民世論の現実を踏まえた苦肉
     の提案であるということだ。国民世論はまだまだ憲法を正面から論じられる段階には至っ
     ていない。とすれば、今はこのレベルから固い壁をこじ開けていくのが唯一残された道だ、
     と考えるのである。つまり、まずはかかる道で『普通の国家』になることをめざし、その
     上でいつの日か、真の『日本』にもなっていくということだ。」

  ② 伊藤哲夫・岡田邦弘・小坂実『これがわれらの憲法改正提案だ 護憲派よ、それでも憲法改
    正に反対か?』(日本政策研究センター、2017年)
    ・伊藤哲夫「なぜ、三つの改正を提案するのか」
     「……三分の二の合意形成という目標です。そのためには公明党あるいは日本維新の会、
     更に言えば民進党の一部だって巻き込んで行けるような、そんな項目というものをまず求
     めるといった議論が、当然ここでは求められる。なのに、そうした合意がもうハナから出
     来そうにもないような項目を、いくらそれが重要な項目であったとしても、それをあえて
     振りかざすというのは、これはもう合意を形成する気がそもそもない議論と言わざるを得
     ない。……『今の国会の状況を活かした憲法改正』という目前の課題に視点を据えていく
     場合、これではむしろぶち壊しだと言うべきです。」「……そしてその場合、最大の条件と
     なるのは、これまでの改憲派にとっては納得しがたい議論かも知れないけれども、この憲
     法は少なくとも全否定はしないという姿勢です。……」
    ・岡田邦弘(日本政策研究センター所長)「自衛隊明記が『九条問題』の克服のカギ」
     「……現在の二項を削除し自衛隊を世界の国々が保持している『普通の軍隊』として位置
     づけることが最もストレートな解決方法と言えます。」「……とはいえ、自衛隊の存在に関
     して何らかの憲法改正はまったなしの状態にあります。そうだとすれば、二項はそのまま
     にして、九条に新たに第三項を設け、第二項が保持しないと定める『戦力』は別のもので
     あるとして、国際法に基づく自衛隊の存在を明記するという改正案も一考に値する選択肢
     だと思うのです。いわゆる『加憲』です。」「いずれにしても、自衛隊の存在を憲法に明記
     することが肝要であり、そのための現実的な改正プランが準備されねばならないと思いま
     す。」

 3 従来の9条改憲案・政党の9条論
   ① 従来の自民党の9条改正案
    ・「新憲法草案」(2005年10月28日)第2章安全保障
     第9条「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる
     戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこ
     れを放棄する。」
     第9条の2第1項「我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総
     理大臣を最高指揮権者とする自衛軍を保持する。」
     第9条の2第3項「自衛軍は、第一項の規定による任務を遂行するための活動のほか、法
     律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行わ
     れる活動及び緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るた
     めの活動を行うことができる。」
    ・「日本国憲法改正草案」(2012年4月27日)第2章安全保障
        第9条第1項「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発
     動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段と
     しては用いない。」
     第9条第2項「前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。」
        第9条の2第1項「我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総
     理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。」
     第9条の2第3項「国防軍は、第一項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律
     の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われ
     る活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うこと
     ができる。」
        第9条の2第5項「国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国
     防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防
     軍に審判所を置く。この場合においては、被告人が裁判所へ上訴する権利は、保障されな
     ければならない。」

  ② 2017年総選挙における各党の公約
    ・自民党「自民党2017政策パンフレット」
     「現行憲法の『国民主権』、『基本的人権の尊重』、『平和主義』の3つの基本原理は堅持し
     つつ、憲法改正を目指します」「……自衛隊の明記、教育の無償化・充実強化、緊急事態
     対応、参議院の合区解消など4項目を中心に、党内外の十分な議論を踏まえ、憲法改正原
     案を国会で提案・発議し、国民投票を行い、初めての憲法改正を目指します。」
    ・公明党「衆院選重点政策」
     「…施行70年を迎えた日本国憲法を優れた憲法であると評価しています。……とくに、『国
     民主権』、『基本的人権の尊重』、『恒久平和主義』の3原理は普遍の原理であり、将来とも
     堅持します。一方、憲法施行時には想定できなかった課題が明らかになり、憲法規定に不
     備があるためそれを解決できないのであれば、そのための新たな条文を付け加えること(加
     憲)によって改正することを考えています」「憲法9条1項2項は、憲法の平和主義を体
     現するもので、今後とも堅持します。2年前に成立した平和安全法制は、9条の下で許容
     される『自衛の措置』の限界を明確にしました。この法制の整備によって、現下の厳しい
     安全保障環境であっても、平時から有事に至るまでの隙間のない安全確保が可能になった
     と考えています。一方で、9条1項2項を維持しつつ、自衛隊の存在を憲法上明記し、一
     部にある自衛隊違憲の疑念を払拭したいという提案がなされています。その意図は理解で
     きないわけではありませんが、多くの国民は現在の自衛隊の活動を支持しており、憲法違
     反の存在とは考えていません。今、大事なことは、わが国の平和と安全を確保するため、
     先の平和安全法制の適切な運用と実績を積み重ね、さらに国民の理解を得ていくことだと
     考えます。」
    ・日本維新の会「2017 維新八策」
     「①教育の無償化 ②道州制の実現を含む統治機構改革 ③憲法裁判所の設置 ④憲法改
     正国民投票で、現行憲法が未だに国民投票を経ていない等の問題点を解消 ⑤国際情勢の
     変化に対応し、生命・財産を守るための9条改正」
    ・希望の党「政策パンフレット」
     「自衛隊の存在を含め、時代に合った憲法のあり方を議論します。たとえば、国民の知る
     権利を憲法に明確に定め、国や自治体の情報公開を進めること。地方自治の『分権』の考
     え方を憲法に明記し、『課税自主権』、『財政自主権』についても規定すること。これらを
     含む憲法全体の見直しを、与野党間の協議によって進めていきます。」「……現行の安全保
     障法制は憲法に則り適切に運用します。」
    ・立憲民主党「政策パンフレット」
     「……2015年に強行採決された違憲の安保法制の問題をうやむやにしたままに、理念な
     き憲法改正が叫ばれています。専守防衛を逸脱し、立憲主義を破壊する、安保法制を前提
     とした憲法9条の改悪とは、徹底的に闘います。現下の安全保障環境を鑑み、領域警備法
     の制定と憲法の枠内での周辺事態法の強化をめざします。基本的人権の尊重、立憲主義、
     民主主義といった原則は、決して揺るがしません。解散権の制約や知る権利など、この原
     則を深化するための憲法論議を進めます。」
    ・社会民主党「憲法を活かす政治」
     「日本国憲法の『平和主義』、『国民主権』、『基本的人権の尊重』の三原則を遵守し、憲法
     を変えさせません」「『戦争法』に基づき、アメリカと一体となって世界中で戦争する自衛
     隊をそのまま憲法に位置づけ、9条を死文化しようとしている安倍首相の『2020年改
     憲案』に反対します。9条の平和主義を守り活かします。教育無償化や参議院の合区解消、
     緊急事態対応には、憲法改正は不要です」「集団的自衛権の行使を容認した『7・1閣議
     決定』を撤回させ、『戦争法』を廃止します」「平和憲法の理念に基づく安全保障政策を実
     現るために、『平和創造基本法』を制定します。自衛隊の予算や活動を『専守防衛』の水
     準に引き戻します……。」
    ・日本共産党「2017年総選挙政策」
     「市民と野党が力をあわせ、安保法制=戦争法、秘密保護法、共謀罪法――3つの違憲立
     法をそろって廃止し、日本の政治に立憲主義・民主主義・平和主義を取り戻します。――
     集団的自衛権行使容認の『閣議決定』を撤回します」「9条に自衛隊を書き込もうという
     改憲案は、単に存在する自衛隊を憲法上追認するだけではありません。『後からつくった
     法律は、前の法律に優先する』というのが、法の一般原則です(後法優先の原則)。たと
     え9条2項(戦力不保持・交戦権の否認)を残したとしても、別の独立した項目で自衛隊
     の存在理由が明記されれば、2項が空文化=死文化することは避けられません。世界に誇
     る平和主義をさだめた9条によって、逆に無制限の海外での武力行使が可能になってしま
     います。これこそが、安倍首相の9条改憲の正体です。首相が憲法9条に書き込もうとし
     ている自衛隊とは、安保法制=戦争法によって集団的自衛権の行使が可能となった自衛隊
     です。これを憲法に書き込むということは、憲法違反の安保法制を合憲にするということ
     にほかなりません。――安倍政権による憲法9条改定に反対します。」

 4 9条「加憲」論の検討
  ① 安倍の姿勢
       ・とにかく改憲をしたい
       ・歴史に名前を残したい?…教育基本法の改正、防衛省設置、憲法改正手続法の制定、国家
     安全保障会議の設置、秘密保護法の制定、武器輸出禁止三原則の変更、集団的自衛権行使
     の解釈変更・戦争法の制定、共謀罪法の制定など
     ・9条改憲論としては後退←運動と世論の成果

  ② 9条「加憲」の意味
     ・限界説(通説)…憲法改正は憲法制定と異なり憲法の継続性が前提、制定>改正
                 根拠~人類普遍の原理(前文1段)、人権の性質(11条・97条) 
                内容…改正手続、基本原理(国民主権、人権の尊重、平和主義)、憲法制
                定権力の排除
    ・「自衛隊違憲」が憲法上言えなくなる
        ←2015年憲法研究者286人が回答したアンケート結果
        自衛隊の存在違憲162人(56.6%)、合憲73人(25.5%)、わからない・その他51人(17.8
      %)
     ←自衛隊違憲論があることで、自衛隊≠戦力・軍隊、「専守防衛」「集団的自衛権行使否認」
      「海外派兵の禁止」など歯止めをかけてきた
       ・9条2項の「空文化」「死文化」
     ←「後法優先の原則(後法は前法に優る、後法は前法を破る)」
     →「加憲」という表現は妥当か、「改憲」「壊憲」
    ・違憲の「戦争法」の正当化
     →集団的自衛権も行使できる自衛隊の正当化
      今後は「軍隊」に向けてのさらなる改憲(軍法会議の設置、フルスペックの集団的自衛
      権行使など)・「普通の国」へ
    ・自衛隊の「公共性」論
     →9条の下で否定されてきた「軍事公共性」
      改憲後は自衛隊機の夜間飛行等・土地収用・有事の際の徴用などに「公共性」

三 改憲か日本国憲法か
 1 最終目標としての憲法の全面改正~2012年4月の「日本国憲法改正草案」の主な内容
  ① 国家主義
    ・前文第1段主語…「日本国民は」(日本国憲法)から「日本国は」(改憲案)へ
       ・天皇元首化(1条)
    ・「国家の安全」…改憲案、国家安全保障会議、国家安全保障戦略など

  ② 人権規定
    ・人権制約原理(12条、13条)…「公共の福祉」から「公益及び公の秩序」へ
                   人権と人権が衝突した場合の調整原理から「国家の安全と
                   社会秩序」(2005年要綱)へ
    ・大幅な義務規定の拡大

    ③ 緊急事態条項
    ・外部からの武力攻撃・内乱・大規模自然災害等に内閣総理大臣が緊急事態宣言
    ・法律と同一の効力を有する政令制定、内閣総理大臣は地方自治体の長に指示
    ・何人も国その他公の機関の指示に従わなければならない

  ④ 平和主義
    ・9条改正
       ・平和的生存権の削除

 2 日本国憲法の平和主義の意義
  ① 国連憲章と日本国憲法~武力による威嚇と武力行使の考え
     ・憲章2条4項…「慎まなければならない」
     憲法9条1項…「永久にこれを放棄する」
        →日本国憲法には国連憲章との連続面と断絶面がある
       27か国目の「軍隊のない国家」になるのか、「普通の国」になるのか

   ② 安倍政権の戦争法の狙いは何か
     ・「積極的平和主義」…proactive contribution to peace
                日本国際フォーラム(安倍首相は元参与)2009年提言
        ・アメリカの政権によっては日本もアメリカの戦争に参加し、自衛隊が他国民を殺し、自衛
          隊員が殺され、日本国内ではテロが発生して一般国民も死ぬことに

   ③ 「戦争する国」に対抗する二つの平和主義
     ・憲法9条
      …消極的平和(negative peace)の追求、暴力(戦争)のない状態をめざす
        ・憲法前文
      …「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努
      めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」
      「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する
            権利を有することを確認する。」
      …積極的平和(positive peace)の追求、構造的暴力(国内外の社会構造による貧困・飢餓・
            抑圧・疎外・差別など)のない状態をめざす

おわりに
 ・運動の課題(総がかり行動・市民連合について)…
 ・安倍改憲NO!全国市民アクションについて
  …運営は、総がかり行動実行委員会と全国市民アクションとの連続・合同運営委員会
   総がかり行動実行委員会は従来の運動継続、全国市民アクションは安倍の9条改憲反対運動
   全国での組織化と学習運動、「安倍改憲NO! 憲法を生かす全国統一署名」運動(3000万筆目
   標)、新聞意見広告、毎月19日行動・11月3日大集会など
  ・総選挙の結果について
  …野党候補乱立で自民党は小選挙区で4割台の得票で7割台の議席獲得
   しかし、比例の自民党得票率は33.28%、立憲3野党は26.95%・+希望の党で46.83%
   内閣の不支持率が支持率を上回って迎えた総選挙で与党が勝利するのは1996年以降初
  ・個人の課題…自己満足で終わらない、自己規制・萎縮・忖度しない

◎論説:参議院の合区問題に関する、只野雅人さんの論説です。ぜひお読みください(2018.2.17アップ)

               

               参議院の合区問題を考える

 

                                   只野雅人(一橋大学)

 

最高裁判決と合区

 

 参議院議員選挙は、全国を1選挙区とする仕組み(比例区)と(96議席)、都道府県を選挙区とする仕組み(146議席)を組み合わせて、行われています。後者については、参議院が3年ごとに半数ずつ改選されることから、各都道府県に、人口を考慮して、偶数の議席が配分されてきました。都道府県を選挙区とする仕組みは、参議院の発足以来、ずっと維持されてきました。しかし、2015年7月、鳥取県・島根県、徳島県・高知県をそれぞれ一選挙区とする合区が、はじめて行われました。最高裁判所の判決を受けた措置です。

 参議院選挙区選挙(都道府県選挙区)をめぐっては、議員1人あたりが代表する人口(有権者数)の較差が問題となってきました。最高裁判所は、かつては、参議院の独自性を理由に、最大で5倍を超える較差(投票価値の不均衡)も憲法に違反しないと判断していました(1983年大法廷判決)。ようやく最大較差が6倍を超えたところで、憲法違反の状態が生じているとの判断が示されました(1996年大法廷判決)。

 その後、国会は小幅な定数の振り替えを繰り返し、最大較差は5倍前後で推移してきました。最高裁はそうした較差を次第に問題とするようになり、2012年大法廷判決は5倍ほどの最大較差が憲法違反の状態にあると判断するに至ります。さらに2012年大法廷判決は、不平等状態を解消するためには、選挙区の定数を振り替えるだけでは不十分であり、「現行の選挙制度の仕組み自体の見直し」が必要であると指摘しました。2014年にも同様の判決が出されたことから、国会は合区に踏み切りました。その結果、最大較差は3倍ほどに縮小しました。2017年の大法廷判決は、合区を含む投票価値の不均衡の是正措置について、合憲と判断しています。

 参議院議員定数242のうち、都道府県選挙区に割り当てられるのは146議席です。半数改選のため、1回あたりの改選議席数は73にすぎません。都道府県の間の人口の不均衡を考えると、この仕組みを維持する限り、投票価値の不平等を縮小することには限界があります。最高裁が、投票価値の平等の観点から、選挙制度自体の見直しを求めたことには十分な理由があります。しかし、衆議院だけでなく参議院にも投票価値の平等が強く求められると、「地方の声」が国政に反映されにくくなるという、根強い批判もあります。自民党は、各都道府県から最低1名の国会議員が選出されるよう、憲法改正案をとりまとめています。

 合区について、どう考えたらよいでしょう。

 

強い参議院と投票価値の平等

 

 日本国憲法では、衆議院と参議院の二院制がとられています。法律案の議決、予算の議決、条約の承認、首相の指名について、憲法では、参議院に対する衆議院の優越が認められています。また任期も、参議院の6年に対して、衆議院は4年と短く、しかも解散があります。こうしてみると、強い権限をもち、民意との距離が近い衆議院については投票価値の平等が強く求められるとしても、参議院については独自性を出すために、それとは違う観点から民意を代表すること―たとえば投票価値の平等の要請を緩和して各都道府県を選挙区とすること―も、許されるように思えます。最高裁判所もかつては、参議院の都道府県選挙区については「投票価値の平等の要請が一歩後退することもやむを得ない」と判断していました。

 しかし、2012年・2014年の大法廷判決は、参議院議員選挙だからといって投票価値の平等の要請が直ちに後退してよいわけではないと指摘しています。なぜ、参議院についても、投票価値の平等が強く求められるようになったのでしょうか。ポイントの1つは、参議院の権限の強さにあると思われます。

 1990年代以降の衆参の「ねじれ」を通じて、従来、衆議院よりも弱いとされてきた参議院の権限が、実は相当に強力だということが認識されるようになりました。法律案について、衆参の議決が食い違った場合、衆議院は3分の2の特別多数で再議決を行うことができます(憲法59条2項)。衆議院の優越のひとつとされてきた規定です。しかし実際には、ひとつの政党が単独で、衆議院の3分の2の議席を占めることは極めて困難です。重要な法律案が通らなければ、その影響が衆議院の優越が保障される予算に及んだり、内閣の存立がゆらいだりすることもあります。まさに、「ねじれ国会」のもとで生じたことがらです。2012年・2014年の大法廷判決も、日本国憲法の議院内閣制について、一定の事項については衆議院の優越を認め、機能的な国政の運営を図る一方で、「立法を始めとする多くの事柄について参議院にも衆議院とほぼ等しい権限を与え」ていると述べています。

 参議院の権限が衆議院より劣っているなら、参議院の民主的基盤(たとえば投票価値の平等)をある程度は犠牲にしても、第二院としての独自性を追求することも許されるでしょう。より強い民主的基盤をもった衆議院の優越が保障されているからです。しかし、両院の権限が対等に近いとしたらどうでしょう。民主的基盤が弱い参議院が、強い民主的基盤をもつ衆議院の議決を阻止するようなことは、認めにくいのではないでしょうか。両院の権限が対等に近いなら、それぞれに同等の民主的な基盤が求められるのは、自然なことではないでしょうか。

 

投票価値の平等と地方の声

 

 では、投票価値の平等ばかり追求すると、人口の少ない地域の声が国政に反映されにくくなるという批判については、どう考えたらよいでしょう。東京への一極集中や地方の衰退が問題となるなか、そうした批判も、もっともであるように思えます。「地方の声」を反映するための単位とされるのが、参議院の都道府県選挙区です。都道府県は地方公共団体であり、行政の単位です。知事や県議会の選挙も行われています。都道府県という単位で「地方の声」の代表を考えることにも、相応の理由がありそうです。

 しかし、よく考えてみましょう。都道府県という単位も、決して一枚岩ではありません。そのなかでは、様々な人々のつながりや利益が、複雑に絡み合っているはずです。それらが、都道府県の枠を超えて、拡がっている場合もあるでしょう。また、過疎と過密の問題は、大都市と地方の間だけでなく、同じ県の中にも存在しています。都道府県を単位として「地方の声」とひとくくりにされるものは、実は様々な、国政に届きにくい「声」の束なのではないでしょうか。1回の選挙で1名だけの議員を選挙することで、そのすべてを反映することは難しいでしょう。

現在、45選挙区のうち32選挙区は、1回の改選議席が1名のみとなっています。衆議院の小選挙区と同様の状態であり、多数党が議席を独占することも可能です。都道府県よりも広い区域を選挙区として-都道府県とは別の尺度を通じて、一つの選挙区からより多くの議員を選挙することで、国政に届きにくい様々な「声」の反映を考えてみることなども、十分、検討に値するのではないでしょうか。

 参議院議員は、衆議院議員とともに、全国民を代表する役割を担っている(憲法43条)ことにも目を向ける必要があります。参議院議員が国会で扱う問題は、「地方」の問題には限られません。たとえば安全保障や外交のような、地方とは直接関わらない重要課題も、国会では数多く議論されます。参議院議員を、「地方の代表」「都道府県の代表」とだけみなすことには、無理があります。「地方の声」をどう受け止めるかは、全国的な視点からしっかり考えるべき課題ではないでしょうか。

 現在自民党は、参議院の都道府県選挙区を維持するために、憲法改正案をとりまとめています。しかし、憲法改正にまで踏み込むのであれば、参議院の権限や役割をどうするかを真剣に考える必要があります。また、都道府県を代表の単位とするのであれば、都道府県にどの様な地位を与えるのかについても、しっかり議論しなければなりません。参議院の権限を縮小するべきなのか。都道府県に連邦国家の州のような強い権限を与えるべきなのか。問題の背景にはこうした、いずれも簡単に答えを出すことのできない大きなテーマが控えています。合区解消だけを目的とした憲法改正議論には、大きな問題があります。

 衆参両院が共に、投票価値の平等を基礎に選挙されたとしても、参議院の独自性がなくなるわけではありません。投票価値の平等を前提としても、選挙制度については様々な選択肢があります。たとえば衆議院は政党中心の選挙制度とする一方、参議院は「人物」の選択に重点をおいた選挙制度とすることなども、考えられるでしょう。また、衆参の任期は異なりますから、それぞれが違った時点の民意を反映することになります。それぞれが違ったタイム・スパンで民意を反映し、また活動することで、両院それぞれの独自性を発揮することも可能なはずです。

◎第193回国会の衆議院憲法審査会の「日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する件(国と地方の在り方(地方自治等)」(2017.4.20)における、小林武参考人(沖縄大学客員教授)意見を以下に掲載します(2018.2.19にアップ)。

○小林参考人 小林でございます。

 本日は、貴重な機会をいただきまして、会長そして委員の皆様に感謝いたします。
 私は、国と地方のあるべき関係について、憲法上の基本的な論点を検討した上で、特に沖縄を視野に入れて意見を述べることにいたします。
 憲法審査会の権限を定めている国会法第十一章の二に基づいて本日の主題を考えますと、憲法第八章地方自治と、憲法の附属法とされる地方自治法等の基本法制を対象として検討を加え、それを通して改憲の要否を論じることが求められていると思います。
 それにつきまして、私は、現在、日本国憲法第八章の改正を不可避とする事情は存在しない、それは条文の規定の仕方も含めて存在しておらず、また、それを要求する世論は多数ではなく、かえって、これを完全に実施するための方策を講じることこそが政治に求められていると考えます。したがって、また、憲法改正提案に対していわゆる対案を出すべしという議論についても、現行憲法の完全実施こそ現在における最善の対案であると思う次第であります。
 以下に理由を述べますが、それに先立ち、本審査会が日本国憲法の改正に関して、九十六条に基づく厳密な改正を審議する場であることに特に留意して、いわゆる憲法改正の限界について一言触れておきたいと思います。
 すなわち、憲法改正手続によりさえすればどのような改正も法的に許されると説く無限界説もありますが、限界があると解するのが、戦前戦後を通して憲法学界の通説であります。
 それによれば、人権宣言の基本原則や国民主権、国際平和の原理、そして憲法改正の国民投票制などについては、九十六条による改正は許されないことになります。このことに照らすならば、二〇一二年に出された自由民主党憲法改正草案は、多くの箇所で改正限界に抵触しているとの疑念を禁じ得ないものであります。
 ちなみに、この二〇一二年案と同程度に限界を超えていると思われるものであったところの二〇〇五年の自民党案は、改正草案とは名乗らずに、新憲法草案としておりました。これは示唆的であります。
 改正限界を超えた憲法の改正は、法的に無効と評価されるものでありますから、この憲法改正限界の問題には、当審査会におかれましても格別の留意が払われてしかるべきであると私は考えます。
 以上を前置きして、国と地方のあり方という本日の主題の検討に入りたいと思います。

 我が国におきまして真正の地方自治制度をもたらしたものは、ほかならぬ日本国憲法であります。明治憲法は地方自治に関する規定を備えておらず、地方制度は法律上のものでしかなく、その編制ないし運営は立法政策上の問題でありました。それで、地方自治体は実質上中央政府の下請機関となり、また、住民の手による本来の自治は実現されるべくもなかったわけであります。それに対して、日本国憲法が地方自治に憲法的保障を与えたことは、憲法原理上の根本的な変革であり、まさに画期的な意義を有するものであると言わなくてはなりません。
 ただ、憲法制定過程で、連合国軍総司令部が提案した地方政府構想は、日本政府、とりわけ内務省の強硬な抵抗に出会います。それは、明治憲法時代の徹底した官治行政の仕組みと中央集権の理念を新憲法下でもできる限り維持しようとするものでありました。そのことが、制定されたただいまの第八章にも少なからず反映していることは否めないと思います。
 とはいえ、憲法第八章は、そのような制約を加えられながらも、民主主義政治の基盤としての地方自治を実現し、住民の人権を確保する規範としての内容を十分に備えたものとなっております。
 そして、この第八章地方自治が、第二章戦争放棄とともに、明治憲法には存在せず、日本国憲法に新規に導入されたものであることを重視しておきたいと思います。つまり、この二つの章は、明治憲法下で進められた官治主義と軍国主義を排除するものとして不可分一体の双子の形で誕生したものであります。
 このようにして、第八章地方自治は、まさに平和国家の建設にとって不可欠の章であると言わなくてはなりません。
 それゆえに、逆に国が軍事へと傾斜するとき、地方自治は戦争遂行の阻害物とみなされます。最近のとても見やすい事例は、改憲の主張として登場している緊急事態条項でありますが、例えば、二〇一二年の自民党改憲案によれば、緊急事態が内閣総理大臣によって宣言された場合、地方自治体の長は内閣総理大臣から必要な指示を受けることになります。地方自治は一時停止されるわけであります。
 以上述べましたような憲法第八章が憲法史上に持つ画期的意義を確認しておくことは、今回のテーマの審議に当たって共通の土台となるものではないかと思われます。
 今述べましたところから、地方自治は、人民の人民による人民のための政治という民主主義の価値において、国の政治と対等の位置にあると言えます。それにもかかわらず、実際には、中央政府は地方自治を軽視し、その結果、国と地方はあたかも上下主従の関係にあるようにみなされ、中央集権制の弊害が払拭されずに色濃く残されてきました。
 この点で、詳しく述べる時間はありませんけれども、一九九九年の地方自治法大改正、ここに込められた国と地方の対等関係を相当前進させる内容は注目すべきであると私は考えております。
 さらに、我が国の国と地方の関係を極めて不正常なものにしている要因として、日米安保条約の問題を見落とすことができないと思います。すなわち、それに基づいて日本各地に米軍基地が置かれ、各自治体と住民が負担を強いられており、その負担は住民の生命と人間の尊厳を脅かすまでに至っております。
 米軍への基地提供の法的仕組みの大もとにあるものは安保条約でありますけれども、しかし、条約は、住民と自治体の権利、権限を制限し、義務を課す直接の根拠となり得るものではありません。国民代表議会の作品としての法律が必要とされるわけであります。それが原則であります。憲法九十二条が、地方自治体の組織、運営に関する事項は法律で定めるとしているのも、この趣旨であると言えます。
 したがいまして、安保条約との関係でも、本来、法律を定める国自身が、地方とその住民の権利擁護について自覚的でなければならないのであります。
 加えて、地方自治体は、米軍基地を発生源とする事件、事故のもたらす被害から住民を保護するために、自主立法権を行使して、住民保護条例を制定することができる、また、すべきであると私は考えます。
 これは、特に日米地位協定が米軍への我が国の法令の適用を基本的に排除していることにかかわっておりますけれども、日本政府はその改定に進み出そうとはいたしません。それで、地方自治体が、条例によって米軍、米軍人等の一定の違法行為を規制し、もって住民の生命と人権を守ることが求められるのであります。そして、現在、そのことは、とりわけて沖縄で喫緊の課題となっております。

 2の沖縄に関する議論に進みます。

 国と地方のあり方について、その極端にゆがめられた姿を見るのは沖縄であります。ことし、日本国憲法施行七十年を迎えますが、沖縄については四十五年であることを、まず確認しておきたいと思います。
 すなわち、一九四五年四月、沖縄戦で上陸した米軍は直ちに日本の統治権を停止し、それによって大日本帝国憲法の適用は遮断されました。そして、戦争の終了によっても、さらに一九四七年の日本国憲法の施行後も、あまつさえ一九五二年の平和条約発効による日本の法的独立の回復の際にも、その三条によって沖縄は切り離され、米国による占領は変わることなく、憲法は復活しなかったわけであります。憲法の適用のない法状況は、一九七二年の本土復帰まで二十七年に及んだのであります。
 沖縄の人々は、日本国憲法のもとへの復帰を望み、幾多の努力を重ねたのでありますが、復帰の実態は日米安保条約体制に組み込まれることを意味しました。その間、地方自治は米国による施政のもとでは存在すべくもなく、また、復帰後も米軍基地が重圧となり続けているのであります。
 今日の焦点は、名護市辺野古における米軍新基地の建設にありますが、沖縄県民はこれに一貫して反対しております。
 特に、二〇一三年には、いわゆるオール沖縄と言われる、そういう沖縄を挙げての声でありますけれども、オスプレイの配備撤回、普天間基地の閉鎖、撤去、そして県内移設断念を求める建白書を内閣総理大臣に提出いたしました。一月のことでありました。
 その年の末に、当時の仲井真弘多知事が、県民への公約に背いて政府に辺野古の公有水面埋め立てを承認したのでありますが、翌二〇一四年、県民はこれを絶対につくらせないことを公約した翁長雄志氏を知事に選びました。そして、同じ年、辺野古のある名護市の市長選、市議選、衆議院の四つの小選挙区選挙の全てにおいて、新基地反対の候補者が推進派の自民党候補者に圧勝する結果となったのであります。
 すなわち、地方自治の原則に照らしますならば、この段階で、沖縄の民意を尊重して基地建設を断念するのが、憲法のもとにある政府がなすべき当然の選択であったはずであります。それにもかかわらず、こうした民意を政府が一顧だにしようとしないことは、地方自治をないがしろにするものでありまして、そのもとでは、住民と自治体はみずからの運命をみずから選ぶことはできず、住民は自治を担う主権者として育つ機会を奪われます。つまり、それは民主主義の死滅をもたらすものであると言わざるを得ないのであります。
 加えて、沖縄県に対して国がとっている姿勢には、法制度の運用の恣意性が際立っております。事例を限って指摘しておきます。
 一つは、二〇一五年十月十三日に知事が公有水面埋立承認の取り消しを行ったのに対して、直ちに沖縄防衛局が行政不服審査法を持ち出して、国土交通大臣に審査請求と執行停止を申し立てたことであります。国土交通大臣はすぐさま承認取り消しの執行停止を決定し、工事は着手されました。
 しかし、政府がここで用いた行政不服審査法は、本来、行政の違法な行為に対して、国民の権利利益の救済を図ることを目的とした法律であります。それにもかかわらず、国は、あたかも国民、つまり私人に成り済ましてこの制度を使っております。法の悪用ないし逆用と言わなくてはなりません。
 また、今年三月二十五日、知事はいずれ承認の撤回に踏み切ることを明言しましたが、これを受けて政府は、知事個人に対して損害賠償を請求することもある旨表明いたしました。
 こうした訴訟は、現行司法制度が本来的に予定している類型にはなじまないものであります。いわゆるスラップ訴訟が企図されているのではないかと思われます。つまり、首長に高額の賠償という懲罰を与えて、住民の側に立つ抵抗行動を控えさせるという萎縮効果を上げることが目的とされているのであります。しかし、国がこうした手法をとることは、地方自治を機能不全に追い込むものであって、許されるものではありません。
 もう一つは、政府の法解釈の恣意性であります。これは、新基地建設の岩礁破砕に関してお話を申し上げようと用意していたんですが、時間の関係で省略いたしますので、私のこの拙い文章をごらんになっていただければ大変ありがたいと思います。
 結局、沖縄については、特に米軍基地問題を見るときに、政府による法制度の運用は、国、地方の対等関係を真っ当に理解したものとは到底言うことができません。沖縄を、地理的にとどまらず、政治的、軍事的に辺境とみなした措置であるように思われます。つまり、特定の地域と住民に矛盾を押しつけ、苦悩を負わせておきながら、恬として恥じない政治であります。
 そして、それは、二〇一一年三月十一日の原発事故で甚大な被害をこうむった福島に対する姿勢にも通底しております。国には、今こそ、憲法の原理と地方自治の原則に基づいてみずからを省みることが求められていると明確に指摘をしておきたいと思います。
 結びでありますが、以上の検討からすれば、国と地方のあり方に関して今なすべきは、憲法第八章に改定を加えることではなく、地方自治の保障の原点に立ち返って、これを充実させることであると思います。
 その内容は、主要なもののみを列挙いたしますが、一、事務分担に関して、自治体優先、基礎自治体最優先の原則を大前提に、補充性の原則を貫いて、地域社会にとって根幹的な行政を自治体に総合的に移譲すること、二、財政権限の移譲により自治体財源を確保すること、三、行政区画については、現行の二層制を維持した上で、さらに将来、広域性とは逆に、狭域行政の制度づくりに進むこと、四、自治体がみずからの行財政の立案をし、それを実行する公共経営能力を持つようにすること、五、住民が、自治体の政治、政策をつくる過程に参加して意見表明をする地位が保障されることなどがその主な部分になるかと思います。
 そして、国と地方のあり方を考える場合に、本日の私の意見で触れた沖縄の問題、また福島の問題を等閑に付してはならないことを繰り返し強調しておきたいと思います。それは、全ての地方の問題に共通する普遍性を持つものだからであります。
 憲法審査会におかれましては、地方自治を充実させる課題にこそ力を注ぎ、もって主権者国民の信託に応えられることを強く望みまして、参考人としての意見にいたします。

 御清聴ありがとうございました。(拍手)

◎以下は、2018年2月10日に開催された、山梨「市民と大学人をつなぐ会」の第1回集会(於:山梨県都留市)での、横田力さん(都留文科大学)の報告用レジュメと報告文書です。憲法改正と平和の問題を今日の危機的状況下の「大学」論と関連させて考える市民運動組織はあまり例がなく、またこれからの平和の担い手を系統的に培っていくには、大学をめぐる現状に対する市民の理解と支持が不可欠だと思います。市民のみなさんが、研究者サイドのこのような思いを受け止めてくれて、山梨「市民と大学人をつなぐ会」の発足が可能になりました。ぜひお読みください(2018.2.25アップ)。

横田 力「9条『加憲』論と自衛隊の現実―9条『加憲』論は何を正当化しようとしているのか―」

 

田 力「今日の大学『改革』の歴史と現状ー『上からの大学改革』は何を目指すのか-」

     (主催:日本科学者会議東京支部 第19回東京科学シンポジウム予稿集  所収)

 

はじめに

 

 近代という時代の確立期以来、大学とは何等かの意味での普遍性即ち真理の追究の場であると同時に人間形成(人格陶冶)の場であるとされてきた。このうち前者は学問研究の自由であり、後者は教授の自由として広義の学問の自由の中心的な要素とされてきた。ただここで注意すべきは、この論理は常に近代国民国家の担い手をどう育てるか、そして大学は国民国家の発展にどう寄与するのかという課題と常に踵を接するものであったということである。つまり大学は常に「真理=普遍」を追究しつつも国家とそれを支持する社会のヘゲモニー権力による掣肘を受けるという関係にあったということである。この点をふまえた上で各論に進むことにする。

 

1.戦後の大学システムに対する構成員からの批判と抗議

 戦後の高等教育改革は、それ以前の旧帝大から私立の多様な専門学校までも含む多元的な構造を4年制大学へ一元化するところから始まった。その後、高度成長にあわせて理工学系を中心に国立大学がそれを担うための学部、学科の設立を進める時期はあったが、専ら企業社会の担い手たる中堅勤労者を育成するための文科系学生の大幅の拡大は私立大学が担うという形をとった。ここに大学における真理追及のためのメカニズムは高度成長を支える経済界の利害に大きく規定されることになる。

 68年-69年を嚆矢とする所謂「学生反乱」は一方で経済の論理による大学教育の歪み(私大の場合)と他方で医学部等を中心に教授達の「大学の自治」を仮象(ヴェール)とする旧帝大型の権威主義的構造を強く批判するところにその動因があった。ただ留意すべきはこの両者の主張は、大学とは経済成長であれ消費主義であれ何か他の世俗的(実利的)手段に奉仕するものではなく、未だ彼等が享受しえない普遍的意味をもった自由と価値を生み出したそれを広く社会に敷衍していく場として捉えていたことがある。ここにこの時代の学生反乱の意味を見出すことはその後今日までに至る大学論、若者論を論ずる上での基本的視座となる。

 

2.「批判」に対する国・ヘゲモニー権力の対応

 このような学生の問題提起を受けとめ先ずは「上からの教育改革」によってそれを包摂、統合しようとしたものが71年6月の中教審答申(所謂森戸構想)である。ここではすでに「大学の設置形態や、内部組織にも改善を加えて」、内部的な閉鎖性や社会に対する独善性から立ち直れるような「力が自動的に生まれてくるような制度上」の改革の必要性が謳われているのである(自律性と自己責任による管理運営の強調)。

 その後大学をめぐる状況は75年の私立学校振興助成法に基づく私立大学の経常費補助の開始に見られるように従来のno support、no control体制から一定のsupportとそれに基づく定員管理の方向が見られるようになる。

しかし、84年に中曽根内閣の下に臨教審が設置され中教審とは別のラインで教育改革が進められるようになると「教育の自由化」が大きな課題となってくる。所謂新自由主義と新保守主義との対抗の顕在化である。

 このような流れの中、21世紀へ向けての「上からの改革」の方向を決定づけたのが92年の大学審答申「大学教育の改革について」である。これを受けて「大学設置基準」は大幅に大綱化され、とりわけ戦後大学改革のコアーとされた教養教育と専門教育の科目区分が廃止され、教養部、教養学学部の解体が進み各専門分野を媒介するものとしてのliberal artsを介しての普遍知の追及は困難を迎えることになる。

 そしてこれに合わせるかのように90年代以降、大学の新規設置と定員増がなし崩し的に進められるようになり、大学は「大学が学生を選ぶ時代」から「学生が大学を選ぶ時代」へと展開することになる。問題はこのことが92年を一つのピークに18歳人口が将来の増大をほとんど見込めない形での減少カーブの中であえて追及されたことである。

 デマンドなき中のサプライの過剰は教育の質の劣化を生むだけでなく各大学は拡大のための投資の回収先を諸事業による利益と学生納付金そして国家補助、助成分の中の機能強化のための特別助成費を含む競争的助成経費に求めることになる。ここで重要なことはこのようなプロセスが展開する中で、学生にとっての大学観が決定的に転換することである。即ち、大学は一部の学生にとっては消費のためのいわば「テーマ・パーク」として捉えられ、他のより困難な状況を抱える学生には収奪を受けた借金返済のため苦しいアルバイトに耐えながら社会の経済システムにより早く、より効率的に順応することを学ぶいわば体験学習の場として意識されるようになったことである。ここでは普遍的価値と正義、人間が絆を求める連帯への方向性は極めて見出し難いものになるのである。

 

3.国公立大学の法人化とその後の展開

 

 このような中で小泉政権の急進的新自由主義改革の下で01年6月の「大学(国立大学)の構造改革」(遠山プラン)を受けて、実行に移されたのが2003年の国立大学法人化と地法独立法人法の制定であった。それはその嚆矢となった行政法学者、藤田宙靖の論考にみられるようにイギリスの独立エージェンシーに一つに範を求めるものであったが、法制化されたそれは、それとは全く内容を異にするものであり、研究・教育課程から大学の自治の中心的構成要素である人事権と教育課程編成権とを教授会から奪うものであり、学問の自由との関係からみても「学問研究の自由」と「教授(教育)の自由」との統一を困難にするものであった。

 その証左として、このことを前提に人事における教授会の中心的権限を定めた教育公務員特例法は通知により全面的適用が排除され(それは私立大学にも学問、教育上の条理として準用されていたもの)、同じくその権限事項を広く規定していた国立学校設置法は廃止されている。その後、10年が経過し、国立大学の第2期中期計画の後半3年の「加速度期」に入ろうとすると同時に最後まで残っていた自治の基盤としての学校教育法第93条が大幅に改正され、教授会は経営事項はもとより、教学事項についても決定機関ではなく必要に応じて学長の求めに対して意見具申する審議・諮問機関と規定されるに至ったのである。

 因みにあわせて国立大学法人の場合は「法人を代表し、その業務を総理する」ところの「学長=理事長」の選出過程が改編され(国立大学法人法改正)」学長の選挙は学外者が過半数を占める学長選考委員会が決定する「基準」によるとされたことで法人の最高責任者の選出がほぼ完全に外部化されたことも同じ状況を反映するものである。

 

4.大学改革をめぐる現局面における問題点

 

 このような中で確認すべきことは、大学の「上からの改革」を主導するのが常にその多くが経済的権力としての財界の提言を受けてのことだということである。今次2014年の学教法と国立大学法人法改正というこの間の約20年の改革のピークとも思われる状況は012年の経済同友会提言「私立大学におけるガバナンス改革」でその枠組みが極めて周到かつ具体的に示されているのである。

 そこでは04年に施行された国立大学法人法の枠組みをより完全に徹底させるために、国公私大全の大学組織のあり方を定める根拠法である学教法の改正と、その趣旨の徹底が各大学の内部規程の全面的見直しを伴う形ですでに強く主張されていたのである。

 結局のところこのような動向をうけ、学校教育法改正後の通知(いわゆるチェック・リスト「内部規則等総点検・見直しの実施について」)により国公私全大学の95%以上がその見直しを実施し、従来の憲法23条-47年(旧)教育基本法-学校教育法-教育特法に支えられ70年近くにわたって教育、研究現場を規定してきた「学問の自由」と「大学の自治」に関する教育法上の条規と慣行が殆ど抵抗の術もなく解体しようとしているのが現状なのである。そしてより大きな問題はこのような状況の中で学生の社会観、人間観がより強く現状に規定され社会にいち早く順応することを自立と考える自己規律型人間像が浸透していることである。こここから果たして「大学→社会→政治」のプロセスを領導する変革主体が生まれうるであろうか。

 この点を探ることが今日の大学論、若者論にとっての最大の課題と思われるのである。

 

<参考文献>-主要なもののみ-

『新自由主義大学改革』(東信堂)/『大学改革とは何か』(岩波書店)/『大学改革という理念』(明石書店)/日本教育法学会年報44号「新教育基本法と教育再生実行戦略」(所収、細井克彦論文)/同45号「戦後70年と教育法」(所収、光本滋論文、丹波徹論文)/『筑波大学 その成長をめぐるたたかいと現状』(青木書店)/『日本の私立大学 第3版』(青木書店)/法律時報増刊『改憲を問う』(所収、中富公一論文)/憲法理論研究会『憲法と自治』(所収、松田浩論文)

『現代思想』2014年10月「大学崩壊」所収の諸論文/『1986(上)』(信山社)     他

 ◎以下は、笹川紀勝さん(明治大学元教授、国際基督教大学名誉教授)​の2.11集会での講演記録です。ご本人の許可をいただいて掲載します。どうぞご高覧下さい(2018.3.3アップ)。

       「天皇制に向き合う視点は何か―終戦[1]の議論を参考として」  

                

                       於 静岡〔浜松〕[2] 2018年2月11日   

                       

                       笹川 紀勝

 

 はじめに

 

 安倍政権は、今年1月の自民党の役員会によれば、憲法改正の方向に動き始めた。その中心課題は第9条の改正をするかどうか、新聞ラジオテレビによれば第9条第3項に自衛隊の存在を明記するようである。そして、同役員会は具体的な意見集約を経て3月25日の党大会に改正を提案するという。さらに、その改正には、緊急事態条項の創設も含めるという。自民党内では、石破議員が第9条第2項の戦力の不保持の規定を削除しなければ法的整合性はないと主張しているので、自民党としてまとまるかどうかははっきりしていない。公明党は様子見を決め込んで態度をはっきりさせていない。こうしてみると、憲法改正の動向は確定したものではないにしろ、その動きが具体的になりつつあることはたしかである。

 

 結果責任無視の安倍政権とそれに対する主権者国民

 

 ところで、アメリカのトランプ大統領は、中国とロシアそして北朝鮮を念頭において核態勢見直しの方針を打ち出し、核兵器を先制攻撃にも使用できるよう小型化を狙っている。世界には驚きと恐怖が一挙に伝わった。被爆国日本政府はアメリカの核の傘の下にあることを理由にしてかかる核兵器使用に反対の声をあげていない。世界には日本政府の態度に疑問の声が上がっている。

 実際トランプ大統領は、北朝鮮に戦争をさせようと躍起になって挑発している。米韓軍事演習はその実際である。そして、安倍首相は集団的安全保障と日米同盟の観点からその戦争瀬戸際行為に追随している。かえって北朝鮮が挑発に乗らずに自制し続けていて惨事が避けられている。戦争になれば、南北朝鮮の国民は何百万と犠牲になるに相違ない。日本も巻き込まれて犠牲者が出るかもしれない。一体アメリカにそうした殺戮の権利はあるだろうか。

 イラク戦争当時イラクには大量破壊兵器があるとアメリカは宣伝しイラクのフセイン政権を崩壊させたが遂にそのようなものは見つからなかった。アメリカによって侵略戦争が行われたことはたしかである。イギリスでは、2009年当時ブラウン首相の下にイラク戦争の正当性の根拠を検証するために設けられた委員会(長はチルコット卿)が、8年かけて調査し、戦争原因であった大量破壊兵器の存在を認めず、したがって戦争への加担の根拠はなかったと、2016年に260万字の報告書を公開した。イギリス兵士179名が死亡し、イラクでは15万人以上が死亡した。その死には世界が責任を負うべきである。

 では、日本はどのように検証してきたか。外務省は数頁の検証報告書を出した。また、安保法制審議の中で、安倍首相は「大量破壊兵器が存在しないことをみずから証明しなかったことが問題の核心」であるとなんどもいい、そして、「大量破壊兵器が確認できなかったことの事実については、厳粛に受けとめる必要がある」と言った。しかし、根拠のない情報に基づいて戦争行為に参加し沢山の人命を損なったことの責任への言及や反省の弁はまったくしなかった[3]。政治は結果責任であることがまったく認識されていない。私たちは意図ではなく結果を問わなければならない。たとえアメリカが主導する戦争であってもそれに加担する自衛隊の行動は日本の法体系で正当とされるかどうかと。この課題はイギリスの検証委員会が問うたところであった。そうすると、どんな理由で日本の権力は他国の人々の生命を奪うことが出来るかを問わなければならない。沢山の人命を奪った結果責任を忘れてはならない。その奪う原因になる疑問をもった米英側には疑問の根拠がなかった、それを丸のみした日本も同罪ではないか。

 すでに述べたように、イラク戦争参加の主体的な検証もなしに、しかもイラク戦争の根拠がなかったことが明らかになっても、今度また、日本政府はアメリカの主導する北朝鮮に対する戦争行為に参加する用意を示している。一体政府の行動には根拠があるのか。実は根拠はどうでもよく、日米同盟が政治的に優先するだけではないか。それなら、専制的帝国主義的な支配と同じで、政治的理由で沢山の人命を損なう、それでいいものだろうか。いいはずはない。

 日本の戦前の戦争行為によってアジアで2000万人が犠牲になった。かかる戦争を政府に二度とさせないと国民は憲法において誓ったはずであるが、冷戦を奇貨として保守政党はやがて自衛隊創設に向い、日本は今日世界有数の軍事力を保有する国家となってしまった。日本政府は、トランプ大統領の要請に応じてアメリカから高額の武器を購入する。防衛費は眼に見えて増え続ける。憲法改正を待つまでもなくまさに「破滅的軍拡主義」[4]が現れている。したがって、国民は戦争に向う政府の動きに警告を発しそれを止めなければならない。今日、戦争は現実問題である。では宣戦布告する法制度が日本国憲法のどこに書かれているだろうか。言うまでもなく宣戦布告の規定は戦争放棄の平和主義の憲法にはない。それゆえに、国民は主権者として戦争を放棄した平和主義の憲法を政府に護らせなければならない。だから国民主権あるいは人民主権を論じなければならないのである。

 

 不敬罪の歴史―思想良心信仰表現の自由を脅かす

 

 こうした恐るべき時代の転換に差しかかって、政治の動きに警鐘を鳴らしつつ同時に飲み込まれないように、ソフトだが、自己の視座をしっかりと構築したい。そこに本日の2.11集会の意図があると思う。しかも、注目したいことに、この集会は、思想良心の自由、信仰の自由、表現の自由、学問の自由を基本的に考える。この傾向は全国各地でかかる集会に見られる傾向である。それはなぜだろうか。戦前戦後の歴史にかかわるからである。すなわち、明治憲法下で、初代天皇といわれる神武天皇が日本の国を建てたのは2月11日と断定されて、1872年(明治5)に国家的祝日として紀元節がもうけられ、国民は奉祝動員された。しかし、1945年の敗戦によって紀元節はGHQによって廃止された。だが戦後の保守化の政治的運動によって紀元節は「建国記念の日」として言い換えられて復活した。制定には多くの国民が反対し、共産党社会党と一緒になって私の所属したキリスト教会の牧師が札幌市内の反対集会で講演をした、そのときのことを想い出す。

 建国記念日を根本的に考えたい。例えば、神武天皇が本当にこの日に日本国を建てたのか、また神武天皇自体歴史的に実在したのか。1945年敗戦前にはその種の疑問は学問的に検証することは許されなかった。許さなかった元凶は治安維持法である、と私たちは思いがちである。だがそう単純ではない。というのは治安維持法は1925年(大正14)に制定されたが、紀元節はそれ以前の1872(明治5)に制定されていたからである。

 では自由な研究を許さなかった抑圧の法はなにか。私は、思想や言論を制約した不敬罪に注目したい[5]。これは、明治維新を実現した薩長藩閥政府が、自由民権運動の天皇制批判を取り締まるために制定した刑法典(1880年(明治13)、第117-120条)にある。すなわち、そこでは天皇皇后皇族そして神宮皇陵に対する「不敬の所為」を処罰するとあった。「所為」とは「しわざ、振る舞い」である。そして、1907年(明治40)刑法改正で「不敬の行為」(刑法第74条)となった。さて、国語辞典では、「不敬」とは、「(皇室・社寺に対して)敬意を失すること」(『広辞苑』)とか、尊敬の念を持たず、礼儀にはずれること、また、そのさまである(『デジタル大辞泉』)、そして、明治憲法下では、とくに、君主である天皇等の名誉や尊厳を冒涜する行為であった。だが、意味としてはもっと広い。というのは、「冒涜」とは神聖なもの、清浄なものを侵し汚す行為、敬わないこと、敬意を示さず失礼な言動をすることなどと解説されるからである。したがって、不敬罪は、名誉棄損の一種として、明治憲法下で国民の思想言論を抑圧するのに猛威をふるった。例えば、押し入れにあった日記に不敬の記事があるとして書いた人が処罰された。要するに、外部のひとに知られるかどうかでなくその表現自体が問題であった。うっかり表現できなかったわけであるから漏らさないようにする結果人の内心の自由が踏みにじられた。

 また、不敬罪は、1945年8月15日の敗戦とともにGHQによって執行停止され1947年5月3日の新憲法の施行による刑法改正をもって廃止された。だが、廃止直前のメーデーの行進者の中に、食糧難を訴えて、「朕はたらふく食ってるぞ、汝人民飢えて死ね、ギョメイギョジ」と書いたプラカードを掲げる人がいた。その行進者は不敬罪に問われた。このプラカード事件は有名である。裁判では、無罪ではなく「免訴」となった。なぜ「免訴」か。「免訴」は、行為時の法に違反するが後にその法が廃止されたなどの事情から処罰しない、無罪か有罪かをいわないことである。しかし、かかる法は新憲法の下で違憲であるから、すでに新憲法が施行された後での裁判では免訴ではなく無罪とすべきだったという意見が今でも有力である。ここに天皇制にかかわって曖昧なものが新憲法下の裁判にもあるといわなければならない。

 ところで、考えてみると、不敬罪の起源は、すでにみた1872年(明治5)よりももっと古い。「不敬」の文字は8世紀の万葉集の解説に出てくる。天皇に捧げられた側近の女性(采女(ウネメ))と天皇の許しなく情を通じることは不敬の罪だと[6]。そうすると、天皇は神聖や清浄を独占することが見えてくる。しかし、同じ人間であるのに、なぜ天皇や皇族などは神聖や清浄といえるのか。今でも天皇と皇族の人気は絶大で、平成天皇皇后[7]が被災地の体育館を訪れ、同じフロアでひざまずいて被災者の安否を問うたことが人々に深い感銘を与えたと報道された。政治家が訪れてもそうしたことは報道されなかった。この違いはなぜ起きるのだろうか。

 

 自由民権と天皇制

 

 自由民権論者の中に共和制の思想を見つけることは難しい。中江兆民の名前は多くの人々に知られている。彼の都々逸といわれる「自首の主の字を解剖すれば王の頭に釘を打つ」は民主主義思想を表わすといわれる(家永三郎)。しかし、中江兆民の翻訳したルソーの『民約論』では、君主は否定されていない。執行権の担い手である。そして、兆民は、ルソーに傾倒していたというべきである。翻訳を出した位だからである。ところが、ルソーの『社会契約論』の中心思想は人民主権にあるのに、兆民は人民主権ではなくイギリスにならって「君民共治」を主張した。それはどうしてか。

 まず人民主権では人民が最高の権力を握っていてそれは法律すなわち一般意思(ヴォロンテ・ジェネラール)として現れる。その考えは直接民主主義、共和主義と解される。若干見ると、ルソーは人民の意思を一般意思として前提することによって、人民と異なる特殊意思を持つさまざまの団体(徒党、党派)を、人民と臣民(国民)との間にある中間団体(コール・アンティメディエール)というがその存在を認めない。ところが、一般意思を執行する政府をその種の団体の中に位置づけ、君主制もその一つとして肯定する。彼らは人民の主人ではなく公僕である。そこで、政府の行動の善し悪しは人民の定期集会で判断する、すなわち、主権者はこの政府を今後も保持したいか、人民は行政を任せた人々に今後もまかせたいかと。したがって、政府あるいは君主を認めたとしても人民が最高の主権者であることは貫かれる[8]

 兆民は、立憲の形をとった専制もあり共和で立君も政体としてあるから、「その名前に眩惑されるべきではない」というように、「名」をとるか「実」をとるかを提起して、ルソーの考えをとらないことを示す[9]。兆民の論稿によると、共和政治の字面はラテン語の「レスピュブリカー」の訳語である、「レス」は「物」であり、「ピュブリカ」は「公衆」である。だから、「レスピュブリカー」は「公衆の物」であり「公有物」の意味である。詳しく見てみよう。

 「だから、いやしくも政権を全国人民の公有物とし、ただ有司がほしいままにしないときは、みな『レスピュブリカー』である。みな共和政治だ。君主があろうとなかろうと問題ではない。そうだとすれば、いま共和政治を立てようと思うとき、名前を求めるのか、さもなければ実をとろうとするのであるか。……共和政治は本来、その名前に眩惑されるべきではない。もちろんのことだが、外面の形態にこだわるべきではない。

 イギリスの政治をみるがよい。名称も形態も、ともに厳然たる立君政治ではないか。しかし、その実態を考えるときは、少しも独裁専制であったためしがない。宰相は国王が指名するものだけれども、議会や世論の希望したもの以外からとることはできない。

 人民が政権を共有することがイギリスのようになることができれば、文句はないのではかろうか。」

こうして見ると、兆民は「全国人民の公有物」としての政権をいうのでルソーのいう人民主権をとらないことは明らかである。

 兆民の主張をイギリスの歴史の中において考えてみたい。彼は、イギリスに言及するとき、「宰相は国王が指名するものだけれども、議会や世論の希望したもの以外からとることはできない」といっている。これをイギリスの立憲君主政治の実際で見るなら、彼は18世紀の初めのロバート・ウオルポール(Robert Walpole)のことをいっている。なぜか。ウオルポールはトーリー党の総裁として総選挙で多数の議員を獲得できなかったので下院の支持を失った。そのために、彼は首相の座を降りた。この先例によって首相は下院の多数の支持をもって王から任命され、失えば辞任するか下院を解散するかという憲法政治が始まった。この慣習によって、ウオルポールは議院内閣制の端緒を示した。今日の日本国憲法の議院内閣制はその流れに属する。

 そうすると、兆民のいうところはかかる先例に当てはまるから、彼がイギリスの政治をみよというときの時代と状況はあきらかである。かかるイギリスの政治の実際が兆民のモデルになったのである。したがって、彼は、ウオルポールの登場した時代を取上げた。しかし、その時代がどうやって成立したかを述べてはいない。今日ではよく知られているように、17世紀の前半では君主専制がイギリス議会と国民に混乱を引き起こし、やがてピューリタン革命による共和制とそれを排除して王政復古がなされ、その後の名誉革命で君主主権と国民主権との妥協が成立した。ウオルポールの時代と議院内閣制はまさに国民主権と君主主権との妥協の産物であった。それゆえに、イギリスをモデルとするときには、兆民は闘争の結果だけを見ているといわなければならない。

 この点で、兆民が、アメリカやフランスのように「共和制で政治を行なうときは、わが君主をどこに置こうとするのか」という共和制を嫌うものの主張に対して「君主を置く場所」[10]を提供していることが見えてくる。

 

 大井憲太郎-自由民権左派として兆民と同じながら違うところ

 

 兆民の特徴を分析するために大井憲太郎の思想の若干を取り上げてみよう。

 1.大井は、無神論の兆民と異なりギリシャ正教の信者であった。彼が入信した時期について、根拠を示していないが幕末の長崎留学時代[11]とする平野説と、「明治12年」[12]とする福島説とがある。福島説に対して、平野が正しいとすれば、函館経由の正教ではなく、ロシア人船員の慰安所のあった長崎の「稲佐経由のそれによって入信した」という長縄説が登場してきた[13]。そして、長縄は、これまでの大井研究では、大井の自由民権運動と正教との内面的関係の分析はまだ行われていないと重要な指摘をしている。長縄は、大井の自由民権運動の革命のイメージと若い神学校生徒たちとの交流には「ちぐはぐな感じは否めない。なぜならばギリシャ正教会といえばカトリック以上の『反宗教改革』派であり、ロシアでは専制体制と結託した保守の牙城であったからだ。……明治の正教会も西洋の先進思想の一翼を担い、広汎で多層な民権運動のなかで何らかの位置を占めるべき類型的な役割を果たしたということは、考えうる」[14]とコメントしている。私は、正教会の性格をそのように保守の牙城のかかわりで見ることを否定はしないが、キリスト教思想によれば、大井が、政治状況における正教会ではなく、そこにおいて聞いたであろう、イエス・キリストの貧しき者虐げられし者へ示した共感から「政治的人権と社会問題へのなみなみならぬ関心」を抱いたことは十分考えられる。それゆえに、大井が生涯を通して狂おしいばかりに、「みじめな敗北に終始した」にもかかわらず、「日本の支配層がもちえなかった民主的な思想」を担ったといえるのではないであろうか[15]。もしそうであれば、そういう関心を抱いた大井を「高く評価したい。それこそ日本に平和主義を根ざさせる前提であった」[16]というコメントは私には理解しやすい。

 1922年(大正11)死去、神田駿河台ニコライ堂で葬儀。彼は家族を連れて「ニコライ堂」に毎日曜通った[17]

 2.大井は弁護士であった。彼は板垣退助らの民選議院設立建白書(1874年(明治7))提出時から自由民権運動にかかわった。平野によるなら[18]、板垣らが建白書を提出したところ「いちばん脅威を感じたのは、藩閥政府の諸官僚であった。そこで、この藩閥政府の官僚を弁護するため異議をさしはさんだのが、ドイツ(プロシア)の絶対主義(開明的君主制)を日本にいれ込もうとしたドイツ学者、宮内省出仕の官にある加藤弘之であった」。その加藤は、板垣らに対して質問書を出した[19]。この中で、加藤は「人民知識未た開けすして先つ自由の権を得る時は、これを施行するの正道を知らすして、之か為に却て自暴自棄に陥り遂に国家の治安を傷害するの恐れあり。豈、懼れさる可けんや」といって民撰議院設立を時期尚早と断じた。そうしたところ、板垣らは加藤に答える書を出し次のようにいった[20]

 〔A〕今議院を開設するも「遽(ニワ)かに人民其名代人(ミョウダイニン)を択(エラ)ふの権利を一般にせん」というのではなく、〔B〕「士族及ひ豪家の農商等をして姑(シバ)らく此の権利を保有し得せめん而巳。是の士族農商は即ち前日彼の首唱の義士維新の功臣を出せし者なり」。(〔A〕〔B〕は笹川の付加)

 この文章は、今日でも鳥尾小弥太の意見のままでいいかどうかの問題は別として、彼が民権説を「上下の二流」に仕分けしたことをよく示す[21]。彼は、上流の民権説をとなえる「士族及び豪家の農商」と下流の民権説をとなえる「人民」を区別し対比した。平野は板垣らを前者に位置付け、大井憲太郎を後者に位置づけた[22]。平野によれば、その「人民」に関する大井の認識は興味深い。

 すなわち、大井は「あくまで国民全般の自主性と政治干与権」を人民にあると主張している。二つある。

 一つには、人民は「国事に与(クミ)する権利」を有し、政府は保護する義務を有する。すなわち、大井が「議院を開て以て人民の国事に与(クミ)するの権利あるを知らしめ……自主の心敢為(カンイ)の気を振起せしむ可し」[23]。「政府たりと雖(イエド)も猥(ミダリ)に之を屈撓(クットウ)せらるる理なく政府は人〔民の〕自主の権利を保護す可き義務あり」[24]。(敢為=思い切って行うこと、屈撓=まがる、かがみたわむ)

 二つには、板垣の「租税を払ふの義務ある者は、即ち其政府の事を予知可否するの権利を有す」という主張は、「士族ならびに相当納税者のみの制限選挙制に結びつく」だけでなく、「納税を為しえない大多数無産人民は固より、2百以下の納税農民に対してすら被選挙権を認めない」ことになる[25]

 この二つを前提とする「人民」とは、本来自主性をもち国政に関与する権利を有しながら、納税額による制限選挙によって政治的権利を行使し得ない存在である。そうすると、下流の民権論は人民の政治的権利を発揮させる民主主義と結びつくはずである。結びついた結果、人民は主権者になりうるのか。中江兆民はかかる主権者として人民を後押すことはしなかった。では大井はすることになるのか。か。                                                       3.大井の『自由略論』上下[26]は、後述する大阪事件で実刑6年の判決を受けて入獄中に執筆し1889年(明治22)3-4月に刊行された。明治憲法発布の大赦で出獄した(同年2月14日)。この本では、「世人多くは外部の自由を重んじて、内部の自由(即心霊の自由)を軽んず」(404頁)るが、「天賦固有の性」(421頁)である「心霊の自由(一名本心の自由)」の「心霊」とはフランス語では「エスプリイ」、英語では「スピリット」である。この心霊の自由は、「人は善に悪に其所欲を行ふを得べき一能力(即ち自由)」をいい、その地の事情(例:圧政)に向って変化するところに「思想の自由」がある(421-422頁)。もっとも賞美すべく、政治上の自由に譲らない(403頁)。かかる「心霊の自由」に生きる人の強烈な姿を次の文章にみる。

 社会には「自由平等の真理を執りて、百折不撓千挫不屈、終始社会の改良を以て自任し、身を桎梏(シッコク)下に入るも敢て辞せず、絞機の上に置くも敢て避けず、死を以て自ら失ひたる有志其人乏からず」(407頁)。

 大井は自分をこのような一人と認めていたに違いない。その「心霊」を支えるものをキリスト教に見ていた。すなわち、

 キリスト教について「俗眼の見る所に依れば、大に自由を害するに似たり。然れども其実は大に自由の精神を修養錬磨し、大に自由をたすくるものなり。人は我心に於て吾自から主たらざる可からず」(417、422頁)。

 このような「自由の効力」(423頁)が政治上では自由政体すなわち代議体政となるときは、政権よろしきを得「国利民福を増進」する。自由平等から奴隷解放、自由貿易、宗教の自由、マグナカルタ、北米13州独立、「君民同治」が生まれる。過激になるとバスチーユの破獄となる(424頁)。自由政府では専制政府の下での偏護の保護商なく、「租税の額を定むるは人民の特権に帰し、国会に於て之を議定すればなり。」自由政体では帝室独裁はなく、「与論常に之を翼賛……官民一体」となる(425、429頁)。「国既に帝室あり」。「民議を取りて補翼と為」すことが「皇祚長久国家安全の基なり。……自由政体なるときは、帝室安固なり」。「政治自由なるときは、則ち社会各人其国を愛するの情ありて、其国に力を尽〔す〕」。「君民同治(即自由政)」を採るべきである(434、469頁)。

 この文章は、大井が「君民共治」をいう中江兆民と同一線上にあることを示す。両者ともに君主制を容認する。その根拠は、現に存在するということにあり、神武天皇等の話に依拠するものではない。

 ところで、大井は、負担は貧富共に平等ではなく「常に貧民社会に偏重」すると認識している(449頁)[27]。すなわち、社会の景況をみると「文化従て進で貧民従て困苦する」、「社会の大患、人民の不幸、此より大なるは莫(ナ)し」(449頁)。「社会上流の人士、曾(カッ)て心を社会改良に用ひず、旧慣に之れ安じ、以て政治の法を講ずる事を為さず」(450頁)。

 4.大井は、自由民権運動が激化した中でもその左派の指導者として東奔西走する日を過ごした。その頃朝鮮改革のクーデターに失敗して金玉均が日本に亡命してきた(1884)。政府と福沢諭吉は当初は金玉均を支援したがやがて支援しなくなった。大井は一貫して支援し、1885年朝鮮改革の密議をこらし、磯山清兵衛が韓国政府の事大党を倒す実行首領となり20数名の志士を率いて渡韓する計画を立て、大井らは資金調達に当たり、事件決行後に我国改革(明治政府の顛覆)をはかることとした。これがばれて、一同58名が逮捕された。これが大阪事件である。この静岡では1886年政府顛覆未遂事件が起き、関係者逮捕された。弾圧されても弾圧されてもその中から自由民権運動に参加するものがいた。大阪重罪裁判所は、主犯大井憲太郎を外患罪で軽禁獄6年に処したが、それを争って大審院に上告したところ却って重懲役9年が言い渡された。しかし明治憲法発布による大赦で大井らは釈放された。

 平野はこの裁判の本質を、金玉均を助けて朝鮮の政治改革を実行して、その独立を援助する朝鮮改革にある(外患罪)のではなく、日本専制政府に痛手を与えて「どんでんがえしに」日本の政治改革をめざすものであった、それゆえに、自由民権の正義を貫こうとしたところにあるという[28]。しかし、この事件の評価をめぐって歴史学界では意見が割れている。中塚明は、大阪事件の関係者の言動を分析して、渡韓して事大党の主要人物を倒し改革をはかろうとする計画性と組織性の曖昧さ、また日本国内の政府を倒すことの方法の不明確さを観念的であると鋭く指摘して、平野の大井研究を批判する[29]。いちいちもっともに思われる。

 ただ気になることはある。その一つは、中塚が言及しているように、政府が徹底的に自由民権の諸運動を弾圧して、「言論や、集会を封殺する専制政府の攻撃」[30]によって、民主主義運動の担い手に有効な展望を持たせなかったことである。私は、そうした閉塞状況のなかで何を、どこから行うかを問いたい。その点で、大井が「心霊の自由」に着目したことには本質的な意義がある。彼は決して「心」を専制政府に開け渡さなかった。たとえ敗れながらでもその「心」の視角から人民と権力を見続けたと思う。

 もう一つは、大井が朝鮮人を「兄弟」と呼んで朝鮮の改革を、主観的だが、実行しようとしたことである。第一審裁判所における大井の弁論に次のような主張がある[31]

 「世人怪訝の念を懐き同情相憐み艱難相救ふといふが如きは国を異にするを以て断じてなきものと思ふ者もある」が、それは「考えの粗なるより来るものなり。彼の宗教家の海川に依りて国を劃せず四海中皆兄弟とするが如く、我より老いたるものは父なり、又母なり。若きものは弟なり又妹なり。即ち朝鮮人も亦た父母兄弟なり。彼れ日本を助くれば日本人も亦彼を助くるの感想を起すなるべし。故に、国を異にするが故に、同情相憐み相救ふの感を起すは決して怪訝すべきに非らずして此感念を起さざる者こそ、我々却て之を怪しむなれ。……我々は此に至て之を助くるの念を生じたるものなり。」

 この「兄弟」論は、憲法論として構成するなら、日本国内と日本国外とで同じ法原則を適応しようとする国際協調主義になる。つまり、国内で立憲主義を、国外でも立憲主義を。吉野作造でさえそうであったように明治期の前半だけでなく大正デモクラシーの時期でも、内は立憲主義、外は帝国主義という二元論が普通であったから、明治期の前半の大井の「兄弟」論は注目されてしかるべきである[32]。問題は、今日でもそういう一元論を貫けるかどうかである。日本国内で無軍備平和主義、日本国外でも無軍備平和主義を貫けるか。安倍政権は、東北アジアの防衛問題では二元論に立っているようで、いや今まさに憲法改正問題では、内は国防軍を、外は戦争をという一元論を狙っているように見える。それゆえに、「兄弟」論は、明治期以来の歴史的課題を明らかに提示しているのである。

 

 天皇制に向き合うものは何か

 

 そろそろ本題に即したい。明治期においてだけでなく、終戦時においても天皇制は否定されなかった。そこで考えてみたい。

 中江兆民と大井憲太郎は、君主制を認めた。大正デモクラシーの時代の吉野作造や美濃部達吉もそうであった。彼らは、美濃部達吉がそうであったように、大臣や議会による輔弼によって天皇制を君民共治もしくは君民同治の実現へ導こうとした。したがって、「人民の人民による人民のための政治」(government of the people, by the people, for the people) の「人民による人民のための政治」を実現しようとしたが、「人民の」政治を棚上げにした。吉野はそれを民本主義といってデモクラシーと区別した。「人民の」政治とは、人民が主権者を意味する政治である。

 そのように、下流の民権論は、藩閥官僚政府の有司専制を攻撃しても天皇制への批判を避けるしかなかった。そして、有司専制の政府は、自由民権運動や自由な言論を取り締まるために、刑法を改正して不敬罪を規定し、さらに名誉棄損を処罰する、要するに自由民権運動がなす政府批判を取り締まる讒謗律(ザンボウリツ)(1875年(明治7):讒、謗=そしること)、出版条例(1869年)、出版法(1890年)、新聞紙条例(1875年)などを制定した。そして、治安維持法(1925年)を制定した。太平洋戦争下では流言飛語罪・造言飛語罪が陸海軍刑法に規定された。軍機保護法(1899年)もあった。したがって、天皇制を批判的に取り上げることはこれらの法に抵触する恐れがあった。ところで、共産党の32年テーゼの天皇制に関する分析は当たっている。天皇制は、戦前最大の寄生的地主階級とブルジョアジーと官僚(警察を含む)に基づきながら無制限の権力をその掌中に維持した「国内の政治的反動といっさいの封建制の残滓の主要支柱」であった[33]。したがって、それは、天皇の個人的人格よりも「制度」としての天皇の分析をした。まさに天皇「制」を取上げた。そうすると、天皇に関することは、支配的権力が実体化していたといわざるを得ない。しかし、完全に天皇が制度の枠内に置かれていたというのは誤解である。天皇自身が自らを主張するいくつかの場面は例外的にあった。2.26事件で昭和天皇は激怒して自ら鎮圧に出動すると言った、終戦の「聖断」は有名である。

 ところで、幕末討幕派は天皇を「玉」と呼んで、そこには「玉を我が方へ奉抱候」という考えがあった[34]。「玉」が敵に奪われては、芝居は大崩れになるから、「玉」を自分の方に抱きかかえるべきである、「玉」の意向とは関係なく自分が抱えるか敵が抱えるかで政治的事情が全く変わってしまう。そのように、「玉」には、尊敬のきわまったものがあると意識されている同時に自分たちの営為のために利用できるものがあるという二面性が討幕派には認識されている。そうすると、まさに32年テーゼがいう「主要支柱」を握っているものが「玉」を動かせる。それであれば、中核的な「玉」=天皇を批判することは支配的政治体制への挑戦となる。当然弾圧される。したがって、中江・大井・吉野・美濃部と一群の人々、もちろん一般国民も抑制できる、天皇への批判を許さない支配勢力とそれを担保する法制度があったという事実である。その結果、大阪事件に関連してすでに述べたように、民主主義的運動による「人民の」政治の実現が抑止されたのである。それゆえに、秩父事件、加波山事件等々自由民権の激化事件はことごとく弾圧された。やがて、軍部の台頭によっていっそう「人民の」政治の実現は遠のいた。

 興味深いことに、そして、まだほとんど研究されていないが、植民地であった朝鮮における不敬罪関係の判決をみていて気付いたことがある。それは、人民の生活の真ん中まで不敬罪が入り込んでいたことである。飲み屋で語ったことが不敬罪や陸海軍刑法の流言飛語罪で有罪になっている事例が沢山出てくる。そして、いくら住民を抑止しても次から次へと不敬の言動が出てきたということである[35]

 では、かかる抑圧のもとで、天皇制を批判変革するものはどこから来るかと考えざるを得ない。それが「終戦」にあった。

 

 結び―終戦時の議論

 

 1.GHQが日本国憲法の草案を作成し、それをもとにして日本政府による憲法改正草案要綱が作成され、日本国憲法草案がいわゆる憲法制定議会に提出された。この間の経緯はすでに良く知られている。GHQがかかわっていることからアメリカの影響が日本国憲法には色濃く反映されている。そのために、日本国憲法という国の形は東北アジア諸国との関係でも作られていることはあまり関心の的になっていない。しかし、日本国憲法の前提をなすポツダム宣言第8項にはこうある。「カイロ宣言の条項は、履行せらるべく、又日本国の主権は、本州、北海道、九州及四国並に吾等の決定する諸小島に局限せらるべし。」つまり、カイロ宣言は①第1次世界戦争以後日本が奪取占領した太平洋のすべての島を日本からはく奪する、②満州、台湾、澎湖島を中華民国に返還するといい、③「朝鮮の人民の奴隷状態」 (the enslavement of the people of Korea)を留意して日本からの自由独立を決意する。そこで日本の主権の及ぶ範囲を縮小した。言い換えるなら、かっての日本の植民地と国際連盟からの信託統治領はすべて日本からなくなった。したがって、主権の及ぶ範囲は縮小された。その結果、朝鮮を始め中国は戦後の国家の形を作り、他方日本は国家の形を作りを制約された。言い換えるなら日本の植民地支配の戦後清算は終戦によって行われたのであって日本の主体的行為によってなされたのではない。そのために、かっての植民地であった国と日本の間には歴史認識に関して問題がかなりたびたび起きている。こういう戦後日本の国家の形を東北アジアとのかかわりで考える契機を具体的に提供したのは、1941年8月ドイツのUボートを避けて密かに大西洋のどこかイギリス戦艦の上でルーズベルト大統領と大西洋憲章の合意を作ったチャーチル首相らしい[36]。それだから、日本国憲法の平和主義は、憲法第9条の戦争放棄とともに、東北アジア諸国との関係を視野に入れた憲法前文第3段の国際協調主義を通して具体化される。その第3段は次のようである。

 「われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」

 

 2.国民主権に眼をとめてみよう。

 

 連合国と日本政府の間でポツダム宣言の受諾をめぐって熾烈な交渉があったことはここで繰り返す必要はない。そして、ポツダム宣言の起草はアメリカのトルーマン大統領とその官邸の高官を中心に作成され、しかも日本側は受諾に際し天皇制の擁護、国体護持にあったこともたこともここでは立ち入らない。それよりも、どうして日本国憲法のなかに国民主権が入ったのかを考えたい。すでに述べたように、明治時代前半から大正デモクラシーまで国民主権をいうことは明治憲法の天皇主権、君主主権と抵触する恐れがあると思われ、すでに触れたように人は口に出せなかったからである。

 (1)まず、1946年2月1日毎日新聞における、明治憲法の手直しのような憲法改正案である松本憲法試案のスクープが人々を驚かせた。折しもGHQの憲法改正を担当するホイットニーのもとで、1946年2月4日にGHQ民政局の会合があった[37]。彼は次のようにいった。

 「新しい憲法を起草するに当たっては、主権を完全に国民の手に与えるということを強調すべきである。天皇の役割は、社交的君主の役割のみとさるべきである。」

 国民主権/人民主権が日本国憲法の構成原理として登場するのはこの2月4日からと思う。GHQが明確に天皇の統治大権に基く松本案を排除して国民主権の選択をした。そのために、統治大権と国民主権とは憲法原理として両立しない。この変化をまだ日本国民は知らない。天皇の統治大権に基く松本案を知ったことがGHQの変化のきっかけではないか。では日本側の対応はどうなるだろうか。

 (2)GHQによる憲法草案が日本政府に伝えられたのは1946年2月13日。

 ところで、憲法学者宮沢俊義は次のように回顧している。

 「マカサア草案の存在を、政府の草案が発表される直前に知った。おそらく3月のはじめであり、どう早くても2月末のこと」で、「英語のテクストをほんの1分ほど手にしただけで、それをていねいに読む時間はもたなかった。その中味で気がついたのは、第1条の国民主権の規定だけだった。そして、その規定を見て閣僚たちがあわてていることを知った」[38]

 宮沢がマッカーサー草案を知った日から直近の論文は「八月革命と国民主権主義」[39]である。この論文で宮沢は、リンカンの言葉にある「人民の政治」と「人民による、人民のための政治」との関連を日本のデモクラシーの議論のなかに入れて分析した。そして、政府の憲法改正草案が「人民の政治」としての国民主権を取っているという。今一度言うならこういうことである。吉野作造らが、民主化をいうときには、「人民による、人民のための政治」が課題になっていた。そして、天皇制に抗するときには、「人民の政治」が意識されていたということである。宮沢でいうなら、宮沢は、「人民の政治」(人民主権)と「天皇の政治」(君主主権)との間には根本的に建前の相違があることを知っている。それだから、その相違を憲法に規定するなら、それは、「ひとつの革命」「八月革命」になると彼は言う。

 

 3.ところで、八月革命説を唱えた論文の中で宮沢はこういっていることに引っかかる。すなわち、在来の日本の政治の根本建前として「天皇は神の御裔として、またご自身現御神として日本を統治し給ふのだとせられてゐた。」「君民一体とも、君民同治ともしばしばいはれた。(もっともこの過去数年間はさういふ表現を用ゐるときっと反国体的といふので叱られるのが例であった)。」そういう社会的な雰囲気の中では、神権天皇に対するものとして国民主権をいう言論の自由はなかっただろう。

 そのために、戦後の11・12月に共産党は人民主権、憲法研究会などが国民主権をいうのは例外であった。GHQが1946年2月13日の憲法草案で国民主権をいった後で、しかも「8・15」から半年後に、「一種のタブー」が外れてから[40]、宮沢・美濃部でさえ国民主権をくちしたのではないか。

 今日国民主権/人民主権を口に出しても誰も恐怖を覚えることはない。それだけ国民主権/人民主権は一般国民に定着したのである。しかし、それは、天皇主権のタブーが外れたからである。しかも日本国民/人民がそのタブーを破ったからではなく、GHQが占領軍の力でタブーを破ったからである。そして、国民/人民が自らの主権によって物事を決定する憲法があるのだから、今度は国民/人民が自ら憲法の存在を擁護し中身を実現しなければならない。他にそうしてくれる人はいないからである。天皇から国民/人民に主権が転換したことは、まさに終戦によってつまり沢山の人々の命のあがないによってもたらされた。この犠牲の歴史的事実を忘れてよいものだろうか。そういう犠牲の上に生まれた日本国憲法を認めたくない人々、安倍政権が戦争できるように憲法改正を狙っていることは恐ろしい歴史の忘却でありそれは阻止しなければならない。これは、終戦によって生まれた国民主権/人民主権の将来に対する新たな歴史的課題である。

 

 [1] 日本語の「終戦」の言葉は、『終戦史録』外務省編纂、新聞月鑑社1952年に基づく。『終戦史録』によれば、「終戦」は「開戦」と対をなす(『史録』序1頁)。そして、東郷外相は開戦に際し「五六年以上存続は不可能」とみて、早期の「有利なる立場で戦争を終結しなければならない」と考えたが、他方東条首相及び軍部首脳は「長期不敗体制の確立可能」と「強引に統制」したという(同23頁)。東郷と東条のこの相違は、御前会議においてポツダム宣言受諾を主張する「終戦派」(東郷外務大臣、米内海軍大臣、平沼枢密院議長)(同580頁)と「我が戦力をもってして戦争は必勝を期する能わずとするも……玉砕を期して……死中に活を求め得べし」とし、「本土決戦」を主張する「戦争継続派」(阿南陸相、梅津参謀総長、豊田軍令部総長)(同610、612頁)の対立となって現れた。昭和天皇は、「これ以上戦争を続けても無辜の国民を苦しめるに忍びないから速に戦争を終結せしめたい」、軍の「必勝の算あり」は「信じ難し」として、外務大臣案に賛成する「聖断」によって受諾が決まった(同586-587頁)。そのように、「終戦」と無謀な「戦争継続」とは概念として明確な対立の関係にある。「対立」の質がどうであったかとは別に、「終戦」の語には対立の緊張関係を含意するものがあると考えて私は「終戦」の語を使う。話の中では敗戦も使う。

なお、「終戦」は「戦争を終結」の簡略な言い換えに思われるがその「戦争を終結」の言葉自体は、外務省訳であるポツダム宣言第1項の「日本国に対し今次の戦争を終結する機会を与える」に由来する。ただ下線部の該当の英文箇所はan opportunity to end this warとあり、endは「無理にやめさせる」を意味するが必ずしも「敗戦」defeatを意味しない。しかし、宣言の末の第13項には「全日本国軍隊の無条件降伏」を宣言するとあるから、「戦争〔の〕終結」は「降伏」を意味し、したがって宣言受諾は「敗戦」を間違いなく意味する。「降伏文書」の調印の結果日本は連合軍によって占領され、日本の「降伏」が法的に確定した。

ところが、冷戦の激化による日本の右傾化の中で、降伏は無条件ではなく有条件であったと主張する学者や政治家が現れ、「降伏」を認めず、「終戦」を主張する(参照:江藤淳編『終戦を問い直す―「終戦史録」別巻・シンポジウム』北洋社1980年)。彼らの「終戦」は戦争継続派を引き継ぐものといわざるを得ない。そうであれば彼らは、東北アジア諸国の戦死者を始め広島長崎の原爆と都市爆撃によって沢山の死者を産み出した戦争を止めさせた「終戦」の理解を著しく変えようとしたのである。そして、周知のように、鳩山一郎を総裁として憲法改正を党是とする自由民主党が生まれた。私は、憲法改正の意図を持つ論者は、戦争犠牲者を無視する恐るべき歴史観を抱えていることと、安倍首相が日本会議を通してこうした戦争継続派の影響を強く受けていることを指摘しておきたい。

 [2] 「〔〕」は講演後の若干の補足を示す。

 [3] 第185国会衆議院本会議2013年10月25日の赤嶺議員の質問に対する安倍首相答弁。その他第189国会衆議院特別委員会2015年5月28日の志位委員に対する安倍首相答弁。

 [4] 深瀬忠一「札幌を源流とする立憲民主平和主義」『独立教報』、札幌独立教会、5、7頁は、日本国憲法の「平和的生存権」を「核・地球時代の立憲民主平和主義」と捉える。

 [5] 宮本顕治『天皇制批判について』新日本出版社、1987年125頁は、「天皇制支配の武器―不敬罪について―」のなかで、「不敬罪は治安維持法とならんで、絶対主義的天皇制の野蛮な支配のための有力な武器」であったといい、「歴代の天皇にたいしてもこの悪法が適用されたため、史実をまじめに探求しようとした歴史家は、この法律によって迫害された。そして嘘にみちた官許歴史だけが人民の頭に教えこまれてきた」(128頁)と指摘している。

 [6] 「不敬」『日本国語大辞典』第2版、第13巻、小学館2001年、802頁。参照:インターネットで万葉集にある言葉「於時勅断不敬之罪」を検索できる。〔後記〕「不敬」:諸橋轍次『大漢和辞典』第1巻242頁。「大不敬」同、第3巻460頁。なお、渡辺治「天皇制国家秩序の歴史的研究序説〕東京大学社会科学研究所『社会科学研究』30巻5号、1979年157頁参照。

 [7] 〔後記〕日本の朝鮮植民地時代に、雑談中に「怖多くも/今上天皇陛下を称し奉るに昭和の年号を以てし」たのは「不敬罪」に当たるとして懲役10月を科した判決(李址鉉事件・朝鮮総督府・大邱地方法院昭和14年12月18日判決)がある。したがって、存命中である天皇を「昭和天皇」と言うのは不敬罪の対象であったことを忘れてはならない。

 [8] ルソー『社会契約論』桑原・前川訳、岩波書店1963/1954年、46-46、101-102、142頁。

 [9] 中江兆民「君民共治の説」『東洋新聞』1881年(明治14):所収『中江兆民』責任編集河野健二、『日本の名著』36、中央公論社1984年70-72頁。

 [10] 中江、前掲71頁。

 [11] 平野義太郎『大井憲太郎』吉川弘文館人物叢書、1988年8-9頁。

 [12] 福島新吾「『馬城大井憲太郎伝』解題(附)伝記資料の補足」:平野義太郎・福島新吾編著『大井憲太郎の研究』馬城大井憲太郎伝別冊、風媒社、1968年24頁は、ニコライ師によってキリスト教に入信したという。福島は、明治4、5年頃には長崎にはロシア正教会はなかったはずという(86頁)。

 [13] 長縄光男『ニコライ堂の人々―日本近代史のなかのロシア正教会』現代企画室、1989年72-76頁。幕府は、プチャーチンの来航に際し長崎の漁村稲佐を上陸地に指定した。稲佐がロシア人船員の休息地となった。病死した船員の墓地がそこにありまたそこに正教会がある。インターネットでは稲佐におけるロシア人との交流の様子が詳しく見られる。そのために、福島とは異なる平野説の成立つ余地が生まれてきた。

 [14] 長縄、前出、74頁。

 [15] 福島、前出、28頁。

 [16] 同上。

 [17] 同上、86頁。同頁には「長崎にはロシア正教はなかったはず」とあるが、長縄の指摘する「稲佐」には実際にロシア正教会があったから平野が指摘する大井の入信時期は正しいかもしれない。

 [18] 平野義太郎『大井憲太郎』吉川弘文館、46頁。

 [19] 平野、前掲、33以下、38頁。

 [20] 平野義太郎編著『馬城大井憲太郎伝』大井憲太郎伝編纂部、1938年44頁。

 [21] 鳥尾小弥太「国勢因果論」、所収吉野作造編『明治文化全集』第9巻正史篇上所収、日本評論社、1927年239頁。

 [22] 平野『大井憲太郎』吉川弘文館、1988年50頁。

 [23] 平野『馬城大井憲太郎伝』、50頁。

 [24] 平野、前出、57頁。

 [25] 平野、前出、59、60頁。

 [26] 所収平野『馬城大井憲太郎伝』、397頁以下。

 [27]『時事要論』1886年(所収平野『馬城大井憲太郎伝』、357頁以下)は大井が『自由略論』と同じく獄中で執筆したものである。この『要論』は、まさに時代のなかで「貧者は倍貧に、富者は愈富みて、貧富の懸隔漸く甚し」(361頁)という。そして、農民のために「土地平分法」を論じ、農民の資産の不同にかかわらず「貧富同一に徴征す」、欧州各国と異なり「我国費は専ら地税にのみ之を頼る」(387頁)と叫ぶ。

 [28] 平野『大井憲太郎』吉川弘文館、前出、153頁。

 [29] 中塚明「自由民権運動と朝鮮問題―とくに大阪事件について―」研究紀要(奈良女子大学文学部附属中学校・高等学校)1959年。Vol. 2. pp.1-17.

 [30] 中塚、13頁。

 [31] 平野『馬城大井憲太郎伝』、149-150頁。なお、平野『大井憲太郎』吉川弘文館、192、196-197頁。

 [32] 〔後記〕講演では、大井の兄弟論は日鮮同祖論と同じではないかという意見が参加者から出された。私は、日鮮同祖論は日本と朝鮮の関係でいうが、大井の兄弟論は「宗教家の海川に依りて国を劃せず四海中皆兄弟とする」ものに思えて、日鮮同祖論とは異なるように考える。そして、大井がギリシャ正教の信者であればロシア人を知っているので彼の兄弟論はロシア人をも含む日鮮を超えた広がりをもつのではないかと考える。また、大井が、日清戦争のように日本国家の対外戦争へ向う国権主義に利用される側面をもったという指摘もされた。私は、その指摘と同じ考えであるが、それだけでなく、その利用される側面とそこに至らないものの側面の二面をみているようである。というのは、後者の側面として大阪事件後の服役中に書いた『自由略論』における「心霊の自由」の視点をみるからである。残念ながら、大井はその自由論の展開を十分なすことなく生を終えたように思う。平野もまた論じていない。しかし、私は、ここに戦後の憲法における国民主権論へつながる思想の源基のひとつをみる思いをもっている。今後の研究課題であろう。〔後記〕柳田泉「素描・大井憲太郎」『東大陸』15巻4号、1937年116頁は「政治改革の根底に宗教を置かう」とする大井に注目している。

 [33] 『日本共産党綱領文献集』日本共産党中央委員会出版局、1998/1996年102頁。伊豆公夫『天皇制について』日本共産党出版部、1946年3月4頁は後に出てくるプラカード事件を先取りして次のようにいっている。「これまで天皇制が、かれらによって守りたてられてきたことから、われわれ人民はどんな利益をえてきたか、労働者の生活は、天皇制のおかげで、これっぱかしもよくなったであらうか。農民は、天皇制のもとで、自分の作った米を腹いっぱい食ふことができたであろうか。……それどころか、われわれ人民は、天皇制のあるために食ふや食はずの生活をすることを強いられてきたのだ。」

 [34] 笹川紀勝『自由と天皇制』弘文堂、1995年80-82頁。

 [35] 参照:警務課『昭和8年不敬犯罪綴』。これは貴重な史料である。また、韓国国家報勲処は、日本の植民地時代の刑事判決6607件を近年インターネットで公開したが、その全体を概観できるような判決の整理がまだ日韓共に学問的には行われていない。回覧の一覧表のコピーは整理の見本に過ぎない。不敬罪、治安維持法などの日韓の比較研究は必須に思われる。治安維持法の判決は日本以上にあるようであり、刑罰は日本以上に重い。

 [36] W. Arnold-Foster, Charters of the Peace, A Commentary on the Atlantic Charter and the Declarations of Moscow, Cairo and Teheran, 1944, London参照。

 [37] 高柳他、憲法成立史参照。

 [38] 宮沢「はしがき」『憲法と天皇』東大出版会、1969年2頁。

 [39] 宮沢「八月革命と国民主権主義」『世界文化』1946年5月号68頁。

 [40] 鵜飼信成「主権概念の歴史的考察と我が国最近の主権論」『新憲法と主権』憲法研究会編、1947年56頁。なお、鵜飼「佐々木惣一博士『日本国憲法論』について」『季刊法律学』第8号、1950年6月号、141頁以下は、宮沢の八月革命説を批判する佐々木惣一のポツダム宣言にある「国民」people理解が国体論に基づいていることを鋭く指摘して反批判している。

*以下は、横田 力さん(都留文科大学元教授)の「山梨『市民と大学人をつなぐ会』の結成とその背景 ―市民・学生・若者との連帯と平和の担い手をめざして」(全国学研会ニュース182号、2018年4月2日)です。どうぞご高覧ください。→リンクはこちらです。(2018.6.5アップ)

*都留文科大学文学部教員有志「地方独法法+学校教育法改悪=​大学ではないもの―都留文科大学における執行部による大学私物化とその背景」と新聞記事切り抜きです。どうぞご高覧ください。リンクはこちらです。(2018.6.5アップ)

*横田力「国家の実力組織は何によって正当化されるのかー立憲主義と「加憲的」改憲論との緊張をめぐって」『法と民主主義』7月号に掲載予定の小論話お送りいたします。→リンクはこちらです(2018.7.31アップ)

 

 お読みいただければお分かりのように政府は72年以来国家武装力としての実力の保持と自衛権行使の理論的根拠を一貫してこともあろうに憲法前文の「平和的生存権」と13条の国民の幸福追求権に求めてきましたが、今回の安保法制においてはそれを一歩進めいわゆる集団的自衛権行使の根拠としてもこの枠組みを使っています。

 さらに心配なのは、昨今このような弁証の仕方が若手を中心に自らを護憲派と認識しまた他からもそのように目されている研究者の間にも個別的自衛権、場合によっては「限定された」集団的自衛権行使の正当化論にこのような議論枠組みが使われる傾向がみられるようになっています。

 このことは、個別的自衛権に限って考えても自衛権行使の主体としての国家の武装組織(この点ではそれを戦力ではなく自衛力としようが自衛隊としようが同じこと)の存在理由を(個人としての)国民の自由と幸福そして生存の保障に求めるという近代憲法原理(立憲主義原理)とそれを踏まえた日本国憲法の規範構造からみて極めて転倒した議論の仕方を示しているといえます。

 そもそも国家の武装力の存在意義は我々個々の国民ではなく国家、より正確には国家の中心組織である「時の政府」を守るためのものであったことは歴史的に見ても(「国体」とはまさにその時々の天皇制政府を実体とするマヌーバそのもの)理論的に見ても証明済みのことといえるでしょう。

 ここでは「国家」と「国民個人」そして「政府」を厳密に区別することが不可欠です。なぜここで単に「国民」としないかというと、自由や人権や幸福追求の主体は「個人としての国民」を離れては存在しないからです。

 少し長くなりましたがこのことを踏まえないと所謂「加憲的」改憲論が持つ本当のイデオロギー的危険性を十分国民に説明できないのではないかと思い筆を執った次第です。

 以上、宜しくお願い申し上げます。

 

横田力

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